どこまでもナイスガイだ。陸上の世界選手権6日目(18日、東京・国立競技場)、男子400メートル決勝は中島佑気ジョセフ(23=富士通)が44秒62で6位入賞。日本勢としては1991年大会7位の高野進以来2人目となるファイナリストとなり、さらにレジェンドを超えて過去最高記録の快挙となった。陸上界の歴史に新たな1ページを刻んだサムライの素顔に、母校の先輩、後輩の証言から迫った。

 会場からの熱い声援が背中を押した。9レーンの中島は最後の直線に最後尾で入るも、粘りの走りで順位を2つ上げて6位でフィニッシュ。高野を上回る日本勢最高位となった。ただレース後には「充実感を感じながら走ることができたけど、それ以上にもう少し勝負したかった。やっぱりメダルを取りたかった」と悔しさをにじませた。

 東京・城西高時代は成長期と重なった影響で脚のケガが多かった。全国高校総体(インターハイ)での入賞経験はなかったものの、地道な鍛錬で才能を開花させた。2023、24年日本選手権400メートルで連覇を果たすと、24年パリ五輪は1600メートルリレーで6位入賞に貢献した。その中島について城西高の先輩でマルチアスリートの陣在ほのかは「本当に真面目で優しいので、先輩からも後輩からも好かれている」と印象を口にする。

 7月下旬に、ある治療院で中島と会った際には、優しさを実感した瞬間があった。当時の中島は世界選手権の参加標準記録突破を懸けたレースの直前だったが「私の母が一緒にいて『母が写真を撮りたいと言っているんだけど…』と伝えたら『いいですよ』と写真を撮ってくれた。母はめっちゃ喜んでいた」と回想。緊張感の高まる時期でも気さくに対応してくれた。

 その優しさは身近な後輩も感じている。東京・城西大付属城西高、東洋大時代の1学年下にあたる臼木隼哉は「本当に頼れる先輩で、ジョセフ先輩の背中を追いかけてきた。僕の走りがうまくまとまらなかった時には、僕から聞くわけじゃなくても、ジョセフ先輩からアドバイスをくれた。先輩からの言葉は本当にうれしかった」と証言する。さらに中島が卒業時には臼木と「もう1回リレーで一緒にバトンをつなぎたいね」と約束。今でも臼木が競技を続ける原動力になっているという。

 競技にも人一倍、真剣に取り組んでいた。自分の理想の走りを実現させるために、できることは何でもやった。臼木は「どういう動きをすれば理想に近づけるかを考えていて、レースを見返したり、自分の動きは自分じゃわからないと思うので、他の人から客観的に見てどういう動きだったとかをいろんな人に聞いていた」と明かした。

 中島は22年に世界選手権初出場。しかし、個人種目でスタートラインに立つことはできなかった。その後は23年秋に米国で武者修行に励むなど、一つひとつの悔しさを力に変えて飛躍を遂げた。その中島は「準決勝を走った段階でほとんどの選手が体を消耗してる中で、どれだけもう1段階上げるか、本当に究極の精神力の勝負。そういったところを経験できて本当に良かった。まだまだ先は長いので、メダル、金メダルを目指していきたい」と力強く宣言。さらなる高みへ、挑戦はまだ始まったばかりだ。