今年も無事、お盆を終えた。私はいわゆる墓守娘なので、準備から片付けまで何もかも1人でやらねばならない。今はだいぶ簡略化したが、父の三回忌までは墓参りから始まり、迎え火と送り火、親族の接待までほぼ私が担当。正直、「酒でも飲みながらもっと気楽にできないものか」と思っていたところ、「ほぉ」と思う話を耳にした。

 江戸時代、東北や北陸の一部では、お盆の施餓鬼供養が終わると、和尚が檀家の家々を回り、酒を一口ずついただく習慣があったという。檀家たちは「和尚に飲んでもらうと家が繁盛する」と信じ、喜んで盃を差し出した。当時の酒といえば日本酒。今の酒よりかなり濃くて甘い味で、糖質やアミノ酸がたっぷりだったということが、江戸前期の食の百科事典「本朝食鑑」からも紐解ける。

 この手の酒は胃での滞留時間が長く、血中アルコール濃度の上がり方が緩やか。そのため、「まだいける」と錯覚し、ハイペースで杯を重ねてしまいやすい。飲んでから30分~1時間後、一気に吸収が進み、足腰が立たなくなるという状態に。酒に寛容だった時代は、そんな和尚が続出したのだろう。この話は落語のネタにもなっている。

 だが、現世でこれと同じことをやろうとしたら大問題。なぜなら現代の和尚たちは、ほとんどがバイクや車で檀家を回るからだ。真夏の炎天下、義実家のある京都でも、袈裟を着てバイクを運転する和尚の姿はお盆の風物詩。もし彼らが道中で盃を受けてしまえば一発で免許取り消しとなり、檀家回りどころか商売も上がったりである。

 そんな中、和尚が息子世代に変わった寺も増えてきた。若い和尚の多くは、いわゆる「酒を飲まない世代」。飲酒運転の心配はないが、酒と縁遠い和尚というのは少々寂しい。そんな一抹の寂しさを抱えつつ、私は屋内型で、花も掃除も不要の納骨堂のパンフレットを眺めている。お盆や墓参りをさらに簡素化するためだ。日本の風習はこうやって静かに、確実に変わっていくのかもしれない。