520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で40年。節目の年に関連本も複数出版され、87年に公表された運輸省(当時)による事故調査報告書が示した原因に異を唱えている。

 羽田発大阪行きの日航123便は離陸から12分後に異常が生じ、迷走飛行の末に午後6時56分、群馬県上野村の御巣鷹山に墜落した。事故調は、米ボーイング社による修理ミスで圧力隔壁に亀裂が入り、客室内の与圧された空気が機体後方に噴出し、垂直尾翼の飛散などから操縦不能に陥ったと結論づけた。

 報告書の内容は公表当時から疑問も呼び、修理ミスの背景など詳しいことは分かっていない。6月に刊行された「日航123便事故 40年目の真実」で著者のジャーナリスト米田憲司氏は「圧力隔壁の破壊ではなく、垂直尾翼の破壊から始まっている」と記している。

 一方、まったく違うとらえ方なのが「日航123便墜落事件 四十年の真実」と「奪われた未来 日航123便墜落事件から40年、遺族としての結論」の2作。7月刊行の両書はいずれも墜落を事件視し、自衛隊の訓練との関連を指摘する。

 前者の著者で元日航客室乗務員の作家・青山透子氏には多数の関連著作がある。その内容については5月、当時参院議員だった佐藤正久氏が「偽情報」などと国会で取り上げた。中谷元・防衛相は「自衛隊が墜落に関与したということは断じてありません」と答弁している。

 青山氏は前出の書籍内で、佐藤氏の発言を「暴言」と批判。1月に死去した経済アナリスト森永卓郎氏も事故原因に関心を示し、青山氏の著作を激賞していた。