「超人」の素顔とは――。世界的な人気を誇るプロレスラーのハルク・ホーガンさん(本名テリー・ボレア)が24日、米フロリダ州の自宅で死去。71歳だった。ホーガンさんの40年来の友人で、日本で最も超人と親しかった佐藤義一氏が取材に応じ、思い出を振り返った。

 プロレスファンだった佐藤氏は中学2年の1982年に、タイツに「一番」の文字が入っていた頃のホーガンさんの宿泊先だった京王プラザホテルで「こいつ、面白いヤツだな」と声をかけられた。そこから交流が始まり、来日した際には食事をともにし、フロリダの自宅にも呼ばれるほど親交が深まった。〝日本で最もハルク・ホーガンを知る男〟と言っていい存在だ。

 43年にも及ぶ付き合いがある佐藤氏は、リングを下りたホーガンさんの素顔についてこう明かす。「人間的に本当に優しいし、『全部俺がケツ持つよ』というタイプの人です。親分だけど、威張ったりはしないし、『俺はいいから、どうぞ、どうぞ』と言える人なんです」

 米国の自宅で見たホーガンさんは、ストイックなプロ意識の塊だった。「ホーガンさんは日本酒がめちゃくちゃ大好きでした。前夜に大好きな日本酒とか飲んでも、朝6時には起きてトレーニングをしていました。家にあるジムか近くのジムには、毎日必ず行っていましたし、その辺の人とは全然違う。キッチンの戸棚には、本当にビタミン剤が並んでいましたよ」。ホーガンさんの1980年代の決めゼリフは「祈りをささげ、ビタミンを取れ」だったが、私生活でもビタミンを取ってトレーニングに励んでいたという。

nWo時代のハルク・ホーガンさん(中=2001年)
nWo時代のハルク・ホーガンさん(中=2001年)

 自身のビジュアルも重視した。自宅での日焼けは日課となり「明日、試合があるとなったら、きちんとヒゲを染めるんですよ」。ユニット「nWо」のリーダーだった際には、nWоのイメージカラーだった「黒」に合わせて、無精ヒゲまで黒く染めていたという。代名詞のバンダナも服によって変えた。

 佐藤氏は「人が自分に気づいた時、ハルク・ホーガンになるんです」。自動車を運転してガソリンスタンドに寄った際には「誰かが寄ってくると『Hey, what's up?(やあ、どうした?)』と自分から声をかけるんです。ファンが来やすいようにですね。時間があればもちろん写真撮影にも応じるし、ハルク・ホーガンと触れあった人はみんなハッピーになるんです」。

 ホーガンさんには口癖があった。「ネガティブになるな、ポジティブになれ」。その上で「Stay strong(強くあれ)」とファンにも佐藤氏にも呼びかけた。「ちょっと鼻が高いレスラーだと『フーン…』みたいな感じになるけど、ホーガンさんは『Hey、brother!』と自分から言ってくれる。写真撮影を求められると『OK!』と応じて、ひと言ふた言でも話をしてくれる。『こんな人、いないよ』って、いつも思っていました」と、佐藤氏は素顔のホーガンさんにも感心するばかりだった。