【プロレス蔵出し写真館】〝女帝〟と呼ばれ全日本女子プロレスで一時代を築いたブル中野のWWE「2024ホール・オブ・フェイム」殿堂入りが発表された。

 日本人ではアントニオ猪木、藤波辰爾、獣神サンダー・ライガー、グレート・ムタ(武藤敬司)に続いて5人目(レガシー部門では力道山、ヒロ・マツダ、新間寿が殿堂入り)。女子レスラーでは初となる。

 ブル中野は今から38年前の1986年(昭和61年)3月、ダンプ松本、クラッシュギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)とともにWWEに名称変更される前のWWFのリングに上がり、ひのき舞台のMS・Gに日本人女子レスラーとして初登場した。

 海外初戦は8日、マサチューセッツ州ボストン・ガーデン。11日はニューヨーク州ポキプシー・ミッドハドソン・シビックセンターでテレビテーピング。そして16日がMS・Gでの興行だった。

 ブルはダンプとタッグを組み、第3試合でリンダ・ゴンザレス&ベルベット・マッキンタイヤー組と対戦した(クラッシュは第6試合)。

 ブルは得意のヌンチャクを披露して観客の視線をくぎ付けにすると、試合では物おじすることなく日本のファイトスタイルを貫いた。18歳とは思えない度胸の良さを見せつけたのだ(写真)。

 そんなブルが帰国して心機一転、誓いの言葉をしたためた直筆の文章があった。

「3月20日大阪城から ブル中野は今までなかった わかさと、がむしゃらさと スピード感のあるレスリングをします S61. 3.18 全日本女子プロレス ブル中野(原文のまま)」

ブル中野が記した18歳の決意表明
ブル中野が記した18歳の決意表明

 これは、海外遠征にも同行してフジテレビ系「全日本女子プロレス中継」の解説を務めたDスポーツ、宮本久夫記者の取材ノートに書かれたもの。

 宮本氏は「帰国してから冗談でブルちゃんに『お前なんか書け』って言って書いてもらった。大阪城(ホール)から私は変わりますよっていう宣誓なんですよ」と明かす。

「ブルちゃんはダンプの下で2番手になって自信も出てきたんじゃない? 18歳だったからMG・Gの認識はないだろうけど、今考えたらすごいことだよね。ポキプシーの会場にはテレビマッチの収録でレスラーが100~150人くらい集まっていて、マサ斎藤やキング・ハクもいた。1人3分ぐらいでパッパパッパやってね。そこでダンプが中指立てたらお客がワーッとなって。ブルちゃんは刺激を受けたんじゃないかな。誓いを立てた大阪城はカード的には3番手だったけどね」と回想する。

 ブルは前年の85年に極悪同盟に加入。2月18日の大阪大会からパンクヘアにして本名の中野恵子からブル中野に改名した。4月26日、茨城・鹿島町立体育館で行われたジャパン・グランプリ公式戦で〝極悪同盟対決〟ダンプとクレーン・ユウが激突。血ダルマにされたユウはこの試合を最後に引退し、翌シリーズから本名の本庄ゆかりでレフェリーに転向した。
 
 それにより世代交代でブルがナンバー2の座に就いていたのだ。

 ブルは86年8月にダンプとのコンビでWWWA世界タッグ王座を初戴冠。その後、ダンプが一時引退してからは〝獄門党〟を結成し、トップヒールとしての座を不動のものとした。

 さて、ブルは現在、芸能活動やイベントとともに自身のユーチューブで活躍している。ゲストから話を引き出す話術は秀逸で、他のレスラーの追随を許さない。

 宮本氏は「18歳でMS・Gに初登場してから、ついに殿堂入りを果たしたんだから本人も感激でしょう。〝所信表明〟を書いてもらったころは〝世界のブルちゃん〟になるとは思ってなかったけど、気持ちが伝わってくる誓いだったよね。今回、東スポに紹介するとブルちゃんに伝えたら、『漢字が無い、、、。』って返ってきましたよ」。宮本氏はそう言って笑った。

 殿堂入り式典は4月5日(日本時間6日)に米ペンシルベニア州フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターで開催される(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る