【3元号レジェンド】昭和・平成・令和の3元号にわたって活躍するレジェンドに直撃する企画。第1回は「ドーベルマン刑事」「ブラック・エンジェルズ」で知られる漫画家の平松伸二氏をインタビュー。大胆かつバイオレンスな〝勧善懲悪〟を連載デビュー時から貫き通すレジェンドに、漫画家としての道のりやヒット作の裏側を語ってもらった。

 ――学生時代から漫画を投稿していたそうですね

 平松伸二氏(以下、平松)高校の頃に「週刊少年ジャンプ」に読み切りが5、6本載りましたね。当時通っていたのは岡山の進学校で、同級生は勉強に集中していたんで。少しは話題になったのかもしれないけど、そこまで周囲の反応はなかったかな…。

 ――その頃からプロになりたいという意志は…

 平松 当時は「ジャンプ」で月1回、新人漫画賞の募集があったんですよ。そこに中3の時に初めて漫画を送ったら佳作に入って。そこで漫画家への扉が開いたような感覚がありましたね。高1の時には編集者の人に卒業後はどうするのと聞かれて。上京して漫画家を目指すことを伝えてからは、もう漫画ばかり描いてましたよ。

 ――当時の漫画家の方の働き方は過酷だったという印象があります

 平松 アシスタントをさせてもらった「アストロ球団」の中島徳博先生は、ゲーゲー吐きながら連載されてましたからね…。噂で聞いている限りでは、他の漫画家さんも皆ハングリーな気持ちでやっていたんだと思いますよ。

デビュー当時を語る平松氏
デビュー当時を語る平松氏

 ――75年から「ドーベルマン刑事」を連載されました

 平松 実は「ドーベルマン刑事」が始まる前に、アシスタントをしていた中島先生の手が病気で腫れ上がっちゃったことがあって。その時予定されていた「月刊少年ジャンプ」の読み切りを、僕がバトンタッチして描くことになったんですよ。だいたいのストーリーは先生から聞いてたんですけど、初めて「締め切りに追われて描く」という経験が本当に怖くて。

 ――突然のプロデビューだったということですね

 平松 締め切りまでが10日までしかなかったのに、コマを割ってセリフを入れる〝ネーム〟の作業がなかなか終わらなくてね。中島さんの家で作業していたんですけど、ふすまの向こうでは奥さんと子供さんが寝てるんですよ。時間が経つだけで終わらないから、ふすまを開けて土下座して「すみません、僕にはできません」って謝ろうと思う瞬間が何度もありました。結果的には何とか完成させましたけど、あそこで土下座していたらその後、漫画家にはなれなかったような気がしますね。

 ――「ドーベルマン刑事」では武論尊さんが原作を担当されました。自伝的作品の「そして僕は外道マンになる」では、当時の編集者に「原作を書いてもらっている間は認めない」と言われたことを紹介されています

 平松 週刊少年ジャンプには当時20本弱連載されている作品があって。皆さんはオリジナルで僕1人が〝原作付き〟という瞬間もあったんですよ。それがすごく半人前というか自分でも恥ずかしくて。「認めない」と言った編集者のことはいつか見返してやろうと思いましたね。

 ――反骨精神で動いていたということですか?

 平松 いやもう、反骨精神でしかないですね。ただ他の漫画家さんへのライバル心というよりは、毎週の原稿を落としちゃいけないという意識の方が強かったかな。

まだまだバリバリの現役だ
まだまだバリバリの現役だ

 ――連載開始後はより多忙に?

 平松 「ドーベルマン刑事」は運良く初回の読者アンケートで1位を取ったんですよ。元々は10週くらいで終わるはずが、その結果を受けて長期連載になったんです。

 ――それだけを聞くと順風満帆に見えますが…

 平松 最初は30ページの1話完結だったんですけど、新人にはきついからと前後編の20ページずつにしてもらったら、アンケートの結果が芳しくなくなって。特に前編の方では主人公を大きく活躍させられないのでね。そこで編集長の鶴の一声で、再び〝週30ページ〟に戻すことになって。他の人の1・5倍のページを描かないといけないから、それはもうめちゃくちゃな仕事量でしたよ。

 ――より締め切りに追われていた、と

 平松 1週間丸々原稿に費やしていたし、遊ぶことも他の漫画家さんと知り合うこともなくて。誰がライバル、みたいな発想はなかったかな…。

 ――「ドーベルマン刑事」の後はオリジナル作品を発表されていますね

 平松 「ドーベルマン」の後は、好きだったプロレスを題材にして「リッキー台風(タイフーン)」を連載したんですよ。1年半は続いたから成功の部類には入ると思うけれど、前作ほどは売り上げも人気も出なくて。次はどうしようと思っていた時に、ちょうどテレビで「必殺シリーズ」が流行っていたんです。「ドーベルマン刑事」の時も、勧善懲悪が自分の性に合っているなとは思っていたし、次は〝反体制派〟の勧善懲悪をやってみたいなと。それが「ブラック・エンジェルズ」で、時代劇ではない現代の勧善懲悪ものということで始めました。

 ――ちなみにご自身で勧善懲悪に向いていると感じられている部分は…?

 平松 僕は悪役が悪役らしいほど、「こいつは絶対許せないな」って、気持ちが乗ってくるんですよ。これはすごい悪役だから、最後撃ち抜いたら拍手喝さいを浴びるだろうな」って手ごたえを感じることもあって。

 ――「やっつけたい」という気持ちが、読者と同様にある、と

 平松 そうですね、もう勧善懲悪が肌に合っているというか。ネームの時から熱気を入れて描いている感じですね。僕自身は平和主義者で、喧嘩したこともないんですけど…。

 ――では作中の戦闘・格闘シーンはどのように?

 平松 そこは格闘技からですね。僕は力道山をリアルタイムで見ていた世代。そこからジャイアント馬場やアントニオ猪木、キックボクシングの沢村忠や柔道の山下泰裕、極真空手の大山倍達も好きになったので、いろんな〝スーパーヒーロー〟たちから発想を得たという感じかな。

力道山の空手チョップ。右はジャイアント馬場
力道山の空手チョップ。右はジャイアント馬場

 ――「ブラック・エンジェルズ」では主人公の「雪藤洋士」が自転車のスポークを武器にしていますが…

 平松 主人公が自転車で全国を旅しているという設定だったのでね。悪を裁く時に、乗ってる自転車で武器になるものはないかと考えた結果、スポークをピンッと抜いて刺せばいい、となって。1話目では回している前輪からピンッとスポークを抜き取るんだけど、そんな風に取れるわけはない(笑い)。ファンの人に「真似をしてみたら取れませんでした」と言われて、当たり前でしょと返したことはありますよ。

最新作「大江戸ブラック・エンジェルズ」では〝傘の骨〟が武器に(Ⓒ平松伸二/リイド社)
最新作「大江戸ブラック・エンジェルズ」では〝傘の骨〟が武器に(Ⓒ平松伸二/リイド社)

 ――雪藤の相棒でもある「松田鏡二」も豪快な立ち回りでファンに愛されています

 平松 僕も松田みたいに大胆な男になれたらいいなとは思いますよ。腕っぷしも強いしね。

 ――松田のせりふ「いんだよ、細けえことは」は、その後「こまけぇこたぁいいんだよ」と形を変えてインターネット上で流行しました

 平松 「マーダーライセンス牙&ブラックエンジェルズ」という漫画で、前作で死んだ松田をその一言とともに再登場させたんです。それが後々「ネット流行語大賞」でランクインしたと聞いて、僕としてはうれしいし光栄でしたよ。自分も細かいことは気にしない人間になりたいけれど、仕事に関しては…。アシスタントにもついつい「細かくて悪いんだけど…」ってお願いしちゃうからね(笑い)。

(後編では最新作「大江戸ブラックエンジェルズ」の執筆経緯や、「キャプテン翼」の作者、髙橋陽一氏とのエピソード、漫画家としてのこれからについても聞きました)

 ◆ひらまつ・しんじ 1955年8月22日生まれ。漫画家。75年に「ドーベルマン刑事」で連載デビューし、「ブラック・エンジェルズ」「マーダーライセンス牙」「リッキー台風」等で人気を集める。現在はリイド社「コミック乱」で「大江戸ブラック・エンジェルズ」を連載中。