【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】ロサンゼルスから車で40~50分ほど南下したところに、パロス・ベルデス半島という、沿岸部が自然保護地域にも指定されている美しいエリアがある。丘からの見晴らしが絶景で軽いハイキングなどもできるので、日本から遊びに来た友人らをよくドライブに連れていく場所でもある。
そのやや高級感あふれるすてきな住宅街の一角で7人きょうだいの末っ子として育ったと、何げない会話から始まったギャレット・クーパーとのインタビューは、なんだか意外性の連続だった。
「ははは、珍しいでしょ? ほんと両親がすごいよね」
家族の話を始めたギャレットの表情には誇らしさといとしさがあふれ、ただでさえ温和な人柄がさらに優しくなった。
「父は今は引退したけど1970年代から30年以上、住宅ローンの会社を経営していたんだ。母は専業主婦。何せ子供がたくさんいたからね。一番上の姉が20歳上で今は52歳、次の兄が10歳上で42歳、残りの兄たちが41、38、37歳と続いて、35歳の姉の次が自分」
11歳の時にめいが生まれ、叔父になったギャレット。この日のエンゼル・スタジアムにも30人近くの家族メンバーが応援に来ていた。
てっきり兄たちと幼いころから競い合うことでアスリート性に磨きがかかったのかと思ったら、スポーツ熱心だったのはギャレットだけだという。
「父が身長195センチと大きいんだけど、母は155センチと小柄で、自分だけが父に似て大柄で、兄たちは皆180センチくらいしかなかったからね。ベイビーだからよくいじめられたけど、必ず誰かが遊んでくれたし、面倒見てくれたというのが7番目の特権かな」
日本人からすると十分大きいのだが…と言おうとして、ギャレットの次の言葉に驚いて突っ込みそびれてしまった。
「うちは父が学業にだけはすごくこだわりがあって本人も法学部出身なんだけど、兄2人も法学部を出て今はどちらも弁護士。残りの兄2人は消防士と建築士になって、姉らは2人とも教師。僕にも野球はもちろんいいけど、学位だけは取っておきなさい、勉強は裏切らないからって。だからマイナーリーグ時代のオフはアラバマ州のオーバーン大学へ戻って、神経科学の学位を取ったんだよ」
米国の大学受験にあたって受ける統一試験SATの結果も高スコアで、実はハーバード大学、ダートマス大学、マサチューセッツ工科大学に行く選択肢もあったという。
新しい情報のたびに「ワット!?」を連発したからか、近くにいたマーリンズ広報のギャリもそばに来て聞き耳を立て始め、目を丸くしていた。ギャレット本人は至ってあっさり。
「選択肢があったのはありがたかったけど、自分はやっぱり野球がやりたかった。その点で、7番目なのはよかったと思うな。兄たちは、僕が野球しているのを応援してくれているし、球場に遊びに来たり、そのために旅行するのも好きだけど、僕が元気で幸せにしてさえいれば、何をしていても構わないのさっていつも言うから」
野球の何がそこまでいいのかと聞くと、チームメートと過ごす時間が何よりも好きなのだとギャレット。
「7人きょうだいだからかな? 仲間との時間が日々の大変さを帳消しにしてくれる」
そう言った後で「でも、自分の子供は3人までがいい! 7人はやっぱり多いと思う」と笑った。
☆ギャレット・クーパー 1990年12月25日生まれ。32歳。米国カリフォルニア州出身。右投げ右打ちの一塁手、外野手。198センチ、104キロ。2013年のMLBドラフト6巡目(全体182位)でブルワーズから指名されプロ入り。17年にヤンキースへトレード移籍した後にメジャーデビュー。同年は13試合で打率3割2分6厘、0本塁打、6打点の成績を残し、オフにマーリンズへ移籍。19年に107試合、2割8分1厘、15本塁打、50打点と大きく飛躍すると、22年は自己最多となる119試合に出場、2割6分1厘、9本塁打、50打点だった。











