【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】情報の速さが鍵となる昨今のニュースでは、漏れてしまう内容がどうしてもある。例えば、球団売却を突然取りやめたエンゼルスのオーナー、アルトゥーロ・モレノ氏の話だったり。
6年前、まだ大谷翔平がエンゼルスに入ったばかりの、キャンプで初めてブルペンで投げるのを見ていた時だろうか。
「必要なものはちゃんと得られているかい?」
長袖のポロシャツを着た、物腰柔らかな優しい口調の紳士に話しかけられた。
「どこから来たの?」
「カリフォルニアの生活は楽しんでいる?」
「頑張っているね。記者は何年?」
普段、質問する側の自分が質問攻めにあう珍しい瞬間。その男性こそ、選手やスタッフから「アーティー」の愛称で親しまれているエンゼルスのオーナー、モレノ氏だった。17年間大リーグを取材していて、後にも先にも、オーナーに話しかけられたことはその時だけ。
「アーティーはそんな人だ。野球が好きで、球場にいる皆を大切に思っている」
その様子を見ていた広報のアダムが、うれしそうに教えてくれた。
「ビールとホットドッグはいつだって球場で飲み食いするのが一番おいしい」
エンゼル・スタジアムは安全清潔経済的を信条とするモレノ氏の意向で、一番安いビールが今でも4・5ドルで買える。オーナーになりたてのころ、女性トイレの前に立ち「中はきれいでしたか?」と直接ファンに聞いて自ら清潔チェックもしていたそうだ。
そのアーティーが昨夏、20年間保有してきたエンゼルスを売りに出した。新オーナーの可能性は、負け続けているチームにとっては新風だ。チーム文化がガラリと変わるチャンスであり、長年のファンも世間も喜んだが、個人的にはショックだった。
エンゼルスはこの5年、スキャンダル続き。遠征先のホテルで薬物による選手の急死、その家族からの訴訟、薬物を供給した職員に禁錮刑22年、新型コロナウイルス。やっとコロナを抜け出したと思ったら、エンゼル・スタジアム周辺の土地開発を見込んで買い取った土地が前市長の汚職で白紙になるニュース。その上、チームが勝てない責任を問われる。心折れて当然だ。
年明け、モレノ氏は球団の買い手と契約を結ぶためエンゼル・スタジアムにいたそうだ。
契約前に球場内を歩くかと聞き、一度断られるが、話し合いをするうちに「やっぱりフィールドを歩かなきゃダメだ。フィールドへ行こう!」と提案。フィールドを歩きながらその買い手が「あなたの目はまだ球団を売りたくないと語っている」と言ったそうだ。「売りたくないなら、ぜひパートナーにならせてください」とも。
スポーツ・イラストレイテッド誌によるインタビューで、アーティーは「売る瞬間になったら、実行できなかった。心がまだ辞めたくないと言っていた。野球への愛が変わったから球団売却を探ったわけではなかった。状況的な理由が大きい。野球愛は絶対になくならない。それは死ぬまで絶対に」と答えている。野球の何が、彼をそこまで奮い立たせるのだろう。
球団の売却金額は30億ドル以上だったと言われている。白紙に戻すということは金銭的なことだけでなく、世間からの風当たりが、台風みたいに強くなることも意味していた。
この春、数年見かけなかったアーティーをキャンプで見かけるようになった。面白いくらいたくさんの視線が彼を追うが、アーティーの周りだけ穏やかで、まるで台風の目のようだ。そんなことを考えていると「まだビート(番記者)、頑張っているんだね」。すれ違いざまに気がついて、振り返ってくれたアーティーの優しい笑顔は6年前に見たそれとまったく変わっていなかった。
今年こそ。期待と希望に満ちた大リーグのシーズンがまた始まった。











