【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(20)】前回の最後にも少し触れましたが、新天地のヤクルトで野村克也監督から投げるたびに褒められた僕は、日に日に自信をつけていきました。移籍後2シーズンに限れば、出場選手登録を抹消されたのは1997年に風疹を発症した時だけ。かつてのように「打たれたら二軍かも」とビビることもなくなり、自信を持ってマウンドに臨めるようになったことが好結果へとつながっていきました。

 プロで活躍するためには、もちろん技術や体力は必要です。ただ、自身の経験からもメンタルが占める割合も相当にあると思っています。野村監督からの絶賛はキャンプ地が米アリゾナ州のユマから宮崎・西都へと移っても続きました。

 象徴的だったのが、2月25日に宮崎・都城で予定されていた広島とのオープン戦初戦です。当初は僕が“開幕投手”に指名されていたのですが、直前になって野村監督が「なんで同一リーグのチーム相手に見せなあかんのや。ワシはケツの穴が小さいからな」と言い、登板予定が変更になったのです。開幕までライバルチームに隠しておきたい戦力として扱われたわけですから、こんなに名誉なことはありません。

 この年は3月2日の近鉄戦(鹿児島)での先発から始まり、救援4試合を含むオープン戦6試合に登板して計15回を自責4点、防御率2・40。ダイエーに在籍していた前年に続いて2年連続の開幕一軍入りを果たすことができました。しかし、同じ「開幕一軍」でも前年とは大きく違います。どんな起用法になるのか分からない立場ではなく、既に開幕2カード目、本拠地・神宮球場での巨人戦の3戦目の先発に指名されていました。

 オープン戦の最終登板となった3月28日の中日戦(岡崎)から中12日と間隔があったことから、僕は開幕カードの横浜3連戦でブルペン待機。移籍後初登板の機会が訪れたのは4月6日の第2戦でした。先発の吉井理人さんが5回2失点ながら勝ち越された直後に代打を送られ、1―2で迎えた6回です。

 ヤクルトは前日の開幕戦にテリー・ブロス―高津臣吾のリレーで4―1と快勝し、2戦目もリードを許しているとはいえ5回の攻防を終えて1点差。逆転勝ちも狙える展開でマウンドに送り出され、自然と気持ちも奮い立ちました。回またぎで2イニングを投げ、打者6人に無安打4奪三振のパーフェクト投球。結果的に試合は1―5で敗れてしまったのですが、僕の降板後に捕手の古田敦也さんが「田畑がこんなにいいピッチングをしているんだから、打って逆転するぞ!」とベンチで野手を鼓舞する姿に、思わずグッときたことは忘れられない思い出です。