【多事蹴論(67)】日本代表を指揮した名将2人が嘆いていた日の丸戦士の“弱点”とは――。2002年日韓W杯で16強入りした日本代表のフィリップ・トルシエ監督はコートジボワール代表やナイジェリア代表、南アフリカ代表を指揮した名将で“白い魔術師”との異名でも知られていた。しかし日本人選手の指導には苦戦したようで、不満をぶちまけたこともあった。

 在任期間中のこと。なかなかチーム強化が進まない現状に不満を抱いたトルシエ監督は皮肉を込めて、こう話した。「例えば深夜に信号待ちをしていたとする。右を見ても、左を見ても周囲は真っ暗。車のヘッドライトも見えない。それでも日本人は道路を渡らないだろう。日本以外の人なら自己判断で渡る。でも日本人は信号が変わらなければ、10分でも20分でもその場で待つんだ。信号が壊れている可能性があっても、絶対に渡ることはない」と語気を強めて語っていた。

 トルシエ監督は「フラット3」とのワードで知られるように、戦術指導を事細かく指導するなど、チームの規律を重視していた。このため、選手の個性を尊重しないタイプにも思われるが、実際は就任時からイレブンに自主性の発揮を要求してきた。そんな中、トルシエ監督は日本人選手は控えめな性格で自分の意見を主張することが苦手とし「指示通りにしかプレーできない」ことに苦悩していた。そこで「信号待ち」の話を例に、日本と世界の「大きな差」として訴えたわけだ。

 実際、当時の日本イレブンは代表に選出されていても個性を発揮できる選手は少なかった。02年W杯メンバーに選出された選手で、自己主張が欠かせない海外クラブに所属していたのはGK川口能活(ポーツマス)、MF中田英寿(パルマ)、MF稲本潤一(アーセナル)、MF小野伸二(フェイエノールト)の4人だけ。稲本は昨年の本紙インタビューで「当時、海外でバリバリやっていたのはトルシエ監督とヒデさんくらいしかいなかったですし、僕らはまだまだ未熟でした」と振り返っていた。

 そして、スペイン1部レアル・マドリードから監督就任のオファーがあった名将で、ユーゴスラビア代表監督として1990年イタリアW杯ベスト8入りを果たしたイビチャ・オシム監督も、トルシエ監督と同じような見解だったという。協会関係者は「オシムさんもトルシエさんと同じような信号待ちの話をよくしていた」とし、別の関係者も「日本人の思考のことはかなり意識していた」と、判断力に乏しい日本人選手の現状打破をもくろんでいたという。

 監督としても人間としても、まったくタイプの異なる2人が同じ見解を持っていたわけだが、当時はまだ世界と日本に大きな差があったのは明らか。技術面では世界トップクラスとされる中、成長できているだろうか。
 (敬称略)