東京スポーツ新聞社制定「2022年度プロレス大賞」では、昨年10月1日に死去した国民的スーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)にプロレス大賞栄誉賞が贈られた。先日は叙位(従四位)・叙勲(旭日中綬章)も授与され、リング内外での功績が改めて評価されている。遺族を代表して栄誉賞を受け取った実弟の猪木啓介氏(74)は、新日本プロレス草創期の事業から伝説の「新宿伊勢丹前襲撃事件」、さらにはあの「永久電池」まで“燃える闘魂”との思い出を振り返った。

酒井修代表取締役社長(右)からトロフィーを受け取った啓介氏
酒井修代表取締役社長(右)からトロフィーを受け取った啓介氏
 

 ――猪木さんが亡くなって4か月になる

 啓介氏(以下、啓介)僕自身は兄貴と「会話」というのがなかったんです。言う必要がなくて、言いたいことがわかるんです。僕が話をしようとすると、「お前が言いたいことはわかる」と言われ、話をしませんでした。兄貴が何か求める時は、先にやってあげていましたし。言わなくても通じ合っていて、アントニオ猪木には「テレパシー」というものがあったみたいで。よく選手たちにも、ハンドパワーを見せていましたしね。

 ――先日は叙位・叙勲も受けた

 啓介 今回もこういう賞をいただいたが、できることなら、生きているときにいただければ、兄貴にとって、もっともっと良かったと思います。兄貴は4か国から勲章をもらったが、やはり日本国からもらうものが一番うれしいのでは。兄貴は「オレはいらねーよ」とあまのじゃくだから言うだろうけれど、本当に喜んでいると思います。

 ――猪木さんの亡くなる前の様子は

 啓介 兄貴は自分のプロレスの試合を全部、見ていました。スタン・ハンセン、タイガー・ジェット・シン(戦)とか。兄貴が好きだったのは、技のあるプロレス。そういう技が見れるプロレスを好んで見ていました。

 ――啓介さんは新日本プロレスの草創期に営業を担当していた

 啓介 兄貴はファンから道端で触られるのは、何も文句は言わないんですが、リングに向かって花道を行く時に、触られるのを嫌がっていました。やっぱり集中しているんで。肩を触られたりすると、嫌な顔をしていましたね。だから我々営業も、試合前の控室には入らないようにしていましたね。

 ――猪木さんは当時、数々の事業を手がけた

 啓介 僕は「アントンリブ」というレストランをやったり、「ひまわりナッツ」とかタバスコをやらさせていただいて、あとはブラジルの事業で牛の餌をつくる(アントン・ハイセル)とか。はっきり言って、ああいう大きな事業が失敗した責任は自分にあります。あの時は我々はド素人で、今やれば間違いを簡単に直せますが。経験もなく、今思えば残念でした。それも全部、(亡くなる前に)兄貴とそういう話もしましたけどね。その後は発電機が…。

う、動かない…。永久電池を操作した猪木さん(02年3月)
う、動かない…。永久電池を操作した猪木さん(02年3月)

 ――永久電池(※1)ですね

 啓介(茨城)日立の寒いところに研究所をつくり、モーター作りから全部やりました。風が強くて、仕事が終わると、車のフロントガラスが真っ白になるくらいのところで。寒さのおかげで、僕のヒザはおかしくなりましたから。この発電機の問題から、兄貴そのものもいろいろ周りとの関係もおかしくなって…。いろいろありましたね。

 ――一方で猪木さんはタバスコを日本に広めた

 啓介 兄貴が英語を学ぶため雇った英語の先生が、タバスコのマキルヘニー社の社長と知り合いだったんです。彼(英語の先生)が日本と米国を行ったり来たりしているうちに「こういうスターがいるが、どうだ?」という話になった。そうしたら代理店の話になり、兄貴と私は丸紅、豊田通商、住友商事、日本交易、伊藤忠商事、その5社の総代理店となりました。商社から我々が注文を受けて、それをマキルヘニー社に伝え、品物は直接商社へという流れだった。でも、我々には単に手数料しか入らなかったんで。タバスコに関わった理由? これはブラジルの事業がおかしくなってきたんで。

シン(上)のコブラクローに苦しめられる(79年9月)
シン(上)のコブラクローに苦しめられる(79年9月)

 ――シンの「新宿伊勢丹前襲撃事件」(※2)にも巻き込まれた

 啓介 自分が結婚する直前で、結婚式の買い物で、倍賞(美津子)、兄貴と3人で伊勢丹に行った。その帰りで車に乗ろうとしたときで、もうびっくりしましたよ。道路のガードレールがひん曲がっていたし。誰がぶつかったのかはわかりませんでしたが、ガードレールがグシャッと曲がったのが覚えています。運転手が待っていてくれたので、すぐに帰りましたけど…。

 ――ただ、写真が残っていないので「襲撃事件は本当にあったのか?」と真偽を疑う関係者も

 啓介 今考えるとそうかもしれませんが、あの時代はスマホも何もない頃ですから。写真をパッと撮ることは不可能ですよ。

 ――猪木さんとともに世界各国を訪れた

 啓介 兄貴といると、お付き合いする人が違うんです。ブラジルに行くと大統領が出てくるし、日本でも大会社の会長さん、社長さんとお会いできて、僕自身も勉強になりました。

 ※1 2002年3月12日、都内のホテルで猪木さんは「従来のエネルギー理論を覆す大発明」を発表。燃料なしで永久に動き続けるという新世代発電機を報道陣にお披露目したが、「午前中は動いていたのに」なぜか作動せず…。当時は大きな話題となり、猪木さんは後に「あれは失敗に終わった」と語っている。

 ※2 1973年11月5日、猪木さんが当時の妻・倍賞美津子、啓介氏と買い物を終えたところで、来日中だったシンら3人の外国人レスラーと鉢合わせ。シンが猪木さんに殴りかかって、大乱闘になった。警察も出動したとされるが、啓介氏によると「警察が来る前に帰りました」。