大相撲の秀ノ山親方(38=元大関琴奨菊)が本紙評論家に就任し、新連載「がぶりトーク」がスタート! 昨年は6場所で全て異なる力士が優勝し、そのうち5回は関脇以下が制した。初場所(8日初日、東京・両国国技館)では125年ぶりの1横綱1大関となり、大相撲は大きな転換期を迎えている。戦国時代に突入した土俵に、新たな看板力士は誕生するのか。元大関がズバリと占った。

【秀ノ山親方・がぶりトーク】読者のみなさん、こんにちは! 秀ノ山和弘です。このたび東スポさんでコラムや評論を務めさせていただくことになりました。全力で頑張りますので、よろしくお願いします!! さて、今回のテーマは新年最初ということで「今年、大関になる力士」。いくつかのポイントに注目しながら占ってみたいと思います。

 まず一つ目が、自分が現役時代に一番大切にしていた「立ち合い」です。立ち合いを制した者が勝負を制する。仕切り線の70センチしかない空間の攻防に、力士の生きざまがすべて表れるんですね。相撲には勝負の流れがあるけれど、立ち合いだけは自分の意思で決めることができる。ここで腹が決まっている力士、不動の形を持っている力士が最後は強い。

 その点で、大関に上がる可能性が高い力士が3人います。昨年の九州場所で優勝した阿炎はもろ手突き、決定戦に残った高安はカチ上げ。春場所を制した若隆景には踏み込んでからのおっつけがある。中でも、最も大関に近いと感じるのが元大関の高安です。昨年、優勝争いを3回しましたよね。あと一歩届かず、精神面が弱いと思う人もいるでしょう。でも、自分の見方は全く逆です。

 高安が昨年の秋場所で優勝を逃した後、佐渡ヶ嶽部屋へ出稽古に来てくれたんですよ。琴勝峰や若い衆を鍛えてくれて、丁寧にアドバイスもしてくれた。高安本人は、負けたショックを引きずるどころか「今は以前の大関取りのころの感覚に戻っています」とすごく前向きだったんですね。気持ちの強さがあるし、もともとフィジカルは誰よりも強い。大関に戻るのが先か、初優勝が先か。もしかすると、横綱までいくかもしれません。

 そしてもう一人、忘れてはいけないのが十両に復帰した朝乃山です。もともと大関の地位で安定した右四つの形がある。そこで注目したいポイントが「どん底を経験した強さ」です。出場停止で土俵から遠ざかった点では阿炎も同じ。ただ、朝乃山の1年間も相撲が取れなかった状況というのは想像がつかない。事情は人それぞれだけど、どん底まで落ちた人って覚悟が違う。

 横綱照ノ富士もヒザのケガで序二段まで落ちて、そこからはい上がってきましたよね。勝ち負けは置いておいて、そういう力士は立ち合いから〝信念〟のようなものが伝わってくるんですよ。「こういう相撲をお客さんに見せるために、自分は相撲界に入ったんだ!」というね。落ちる前と比べて、ひと回りもふた回りも大きくなって戻ってきている。

 だから朝乃山も関取に戻っただけでは満足していないだろうし、早く幕内の上位に戻って活躍することが恩返しだと思っているはずです。その先の頑張り次第では、横綱になる可能性だってある。相撲界を盛り上げてもらわなければいけない一人ですよね。

 今回は紹介しきれませんでしたが、ほかにも楽しみな力士はたくさんいます。初場所で言うと、小結と関脇が4人ずつ。その中から誰が次に上がれるか。「次は俺だ!」という気持ちを持って、飛躍の一年にしてもらいたいですね。読者のみなさんも、力士一人ひとりの個性に注目しながら見ていただければ、2023年の大相撲がより面白くなると思います。それではまた!

(元大関琴奨菊)

【1横綱1大関は125年ぶり】昨年の優勝力士は初場所から順に関脇御嶽海、関脇若隆景、横綱照ノ富士、幕内逸ノ城、幕内玉鷲、幕内阿炎(番付は優勝当時)。年6場所制以降で優勝力士が全て異なるのは3度目で、関脇以下が5度優勝するのは初めてのことだった。年の後半には、大関が相次いで陥落。秋場所で御嶽海、九州場所で正代が地位を失った。

 8日に初日を迎える初場所では、看板力士は横綱照ノ富士と大関貴景勝の2人だけ。1横綱1大関は1898年1月場所以来、125年ぶりの異常事態となる。照ノ富士は昨年10月に両ヒザを手術した影響で初場所は休場する一方で、貴景勝は綱取りに挑戦。関脇豊昇龍が大関取りの足場固めを狙うほか、十両に復帰した朝乃山は好成績なら1場所で幕内へ返り咲く可能性がある。

☆ひでのやま・かずひろ 本名・菊次一弘。元大関琴奨菊。1984年1月30日生まれ。福岡・柳川市出身。2002年初場所で初土俵を踏み、05年初場所で新入幕。11年秋場所後に大関に昇進し、16年初場所で日本出身力士として10年ぶりの優勝を果たした。幕内718勝(歴代6位)、幕内出場1332回(同6位)、幕内在位92場所(同7位)。殊勲賞3回、技能賞4回、金星3個。現役時代の得意技はがぶり寄り。20年11月場所で引退し、年寄「秀ノ山」を襲名した。181センチ。