【山本美憂もう一息!(6)】レスリングの全日本選手権に初出場した13歳から4年連続で優勝しても世界選手権には出場できませんでした。大会開催年の1月1日に17歳でなくてはならないという年齢制限があったのです。チャンスが巡ってきたのは全日本5連覇を達成した1991年。1月1日はまだ16歳でしたが、特例が認められ、8月に東京で開催される世界選手権女子47キロ級代表として出場できることになりました。
代表選手は、新潟・十日町に開所したばかりの桜花レスリング道場で5回にわたる強化合宿を行いました。この年は代表チームの指導者だけではなく、選手それぞれに所属のコーチが付くマンツーマン制。私の場合は父(郁榮氏)で、猛練習しました。
山の中にある廃校を改築した桜花道場は今のように整備されておらず、寝ていると上から大きなカメムシがボトボトと落ちてくるんです。でも練習がハードすぎて、布団に入るとすぐに寝てしまいました。怖かったのが夜のトイレ。建物は木造でギシギシ。寝室は2階にあって、1階のマットの横にトイレがあるので、真っ暗な道場に入らないといけない。しかも道場の壁には大きな鏡が付いている。何かが映っているんじゃないか、とおびえていました。練習は厳しく、朝練が一番ハードでした。山の上に道場があるので、ランニングで下ると必ず登らなければならないんです。
当時の代表で私は最年少組でした。弱音を吐くと、先輩方から「甘えたこと言ってんじゃないよ!」と叱られたことも。怖かったですが、矛盾したことは言われなかったし、普段は面白い方ばかりでした。合宿が終われば、地元で父と猛練習。ノリ(弟の徳郁)が練習パートナーを頑張ってくれました。体のサイズも私の相手にぴったり。なにより私より強かったので力を付けることができました。
日本初の女子レスリング世界選手権ということもあり、大会前からたくさんの取材を受けました。でも緊張するということはなく、やっと世界選手権に出られるという喜びのほうが大きかったです。大会当時は50社以上の報道陣が来たそうです。私の初戦の相手は、米国のパトリシア・マクノートン(のちのサンダース)に決まりました。力が強い有望選手と聞いていましたが、どこまで強いのかはわからない。とにかく自分のレスリングをしようと心がけました。動いて動いてタックル。4―2で勝利しました。
このパトリシアは、良きライバルというだけではなく、私の人生を大きく左右する存在になるのです。そのお話は次回お伝えしましょう。初戦突破後、当時女子レスリングをけん引していた北欧のスウェーデンとノルウェーの選手も下し、決勝に進出しました。
☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。











