【山本美憂もう一息!(2)】 レスリングは小学2年で始めました。1972年ミュンヘン五輪代表だった父(郁榮氏)の影響です。父の勤務先である日体大構内には、いつも「〇〇選手が五輪メダル獲得」というような横断幕がありましたし、周りにも五輪選手がたくさんいました。当時、女子種目はなかったのですが、レスリングや五輪は私にとって身近な存在でした。
2歳年下の弟ノリは、私より先にレスリングを始めていました。昔から弟とはしょっちゅうケンカをしていて、私も取っ組み合いが好きなタイプでした。やんちゃだったのかな。ノリが競技に打ち込む姿を見て、ある日「私もやりたい!」と思ったんです。父に伝えると最初は「まさか」という反応でしたが、すぐに「じゃあ、一緒に行ってみよう」と練習先の木口道場へ誘ってくれました。初めての練習でヒジを捻挫。痛かったけど、不思議と嫌にはならなかったんです。次の日、腕をつって学校に行って治ってからはまた練習を始めました。
当時からノリのレスリングが憧れでした。本当にすごかった。スピードがあまりにも速くて、もう悔しいを通り越し、ボーッと見とれていました。試合に出れば「勝った!」「また勝った!」の連続。父は「体が小さくても、タイミングで入れるんだよ」と、ノリの動きを手本にし、私に教えてくれました。
82年、初めて全国少年大会(小学1~2年の部 22キロ級)に出場。当時は男の子ばかりで結果は3位でした。悔しくて、すぐに母(憲子さん)のヒザの上に顔を伏して泣いたのを覚えています。でも、練習を続け、次からはずっと優勝しました。
学校では私がレスリングをやっていることはみんな知っていました。大会で優勝すると父に「ほら、これを持っていけ!」ってメダルを渡されるんです。恥ずかしかったですが、先生に渡すと「山本さんが〇〇大会で優勝しました」と紹介してくれました。
ノリに続き私も競技を始めると、家族はレスリングを中心に動くようになりました。週末もずっと一緒。しばらくすると、母はレフェリーの資格を取っていました。コーナーが分かるように右手と左手の爪に赤と青のマニキュアを塗って、一生懸命頑張っていたのを覚えています。
女子は五輪種目ではなかったですが、父は私に向いていると思ったようです。それに、将来どんなスポーツをやるためにでも、レスリングは最適だと考えていました。常に動いているし、全身運動ですからね。
どんどん格闘技に夢中になる一方で、実は別の競技に魅了され途中で一度、レスリングを辞めているんです。
☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。












