地方競馬の名古屋競馬場が、名古屋市港区から愛知県西部の弥富市に4月から移転する。「どんこ」の愛称で親しまれてきた現在の名古屋競馬場は11日に最終日を迎え、73年間の歴史に幕を閉じる。最後の4日間開催(8~11日)には多くのファンがどんこを訪れ、惜別の馬券勝負に挑む。73年の間に繰り広げられてきた悲喜こもごもの人間模様――。30年にわたり、予想屋「KAZ」として生き抜いてきた湯槇和成さん(53)に、予想屋としての矜持と馬券初心者への提言を聞いた。
「今日はどんこで儲けたで、1杯どう?」
地元民は親しみを込めて名古屋競馬のことをこう呼ぶ。もともとは所在地である「土古」というの地名から来たものだ。
現在の競馬場は移転後もサンアール名古屋(場外馬券場)として残るため、すぐに競馬従事者の職場がなくなることはない。ただ移転に伴い廃業する者もいれば、これまで同様、弥富で生きていく人間もいる。食堂関係者によると「今ある9軒のうち5軒は閉めて、4軒は残る」とのことだ。
公営ギャンブル場で欠かせないのが、眼光鋭くダミ声を響かせる予想屋だ。1枚100円で渾身の勝負目を提供して生計を立ててきた湯槇さんは、移転後もこの仕事を続ける。ただ予想屋の収入は入場者数とほぼ比例するため、不安もある。入場者1500人なら収入は約1万5000円。弥冨へは名古屋駅、蟹江駅、サンアール名古屋の3か所から無料バスを運行するが、名古屋市内から40分かかり、アクセスがいいとは言えない。
「移ってすぐは物珍しさもあってお客さんが来てくれるかもしれないけど、その後はどうなるか分からないしね。今の仕事をやりたくても辞めざるを得ない可能性もありますよね」
競馬に限らず公営ギャンブルは現在、ネット投票が売り上げの8割近くを占め、本場来場者に依存する時代ではない。予想屋は、〝逆風〟の真っただ中で営む稼業であることは痛感している。
湯槇さんがこの道を志したのは23歳の時。「小林の予想」として人気を博していた師のもとに弟子入りし、修行を積んだ。当時はまだご祝儀が飛び交う鉄火場の面影も残っていた。
「この仕事は賢いヤツがやる仕事じゃない。でも逆に言えば、バカなヤツじゃあできないよ」
師の言葉を胸に刻みながら経験を積み、今に至る。「僕の仕事で一番大事なのはコミュニケーション力。それに1本筋の通った予想」。自分なりに研究を重ねて、今の馬場は内ラチが浅いか、外が伸びるのかを開催ごとに見極める。騎手の乗り替わりも、長年の感覚で勝負懸かりを読み取る。悩み、迷える競馬ファンの背中を最後にひと押ししてあげるのが一番の見せ場だ。
レースの合間に100円玉を握りしめた客から次々と声がかかる。「どれが逃げるの?」「葵(木之前)ちゃん、どうかなあ」。その都度、柔和な笑みで即座に応対するのが30年間、信頼関係を築いてきた秘訣だ。
3連単がメインになってから〝馬連1本勝負〟のような大口客が減った。「今はお客さんのニーズが3連単だから、流して引っかかればラッキーみたいな感じですよね。まあ、それでもそのヒントを提供できればいいかなと思うこともある」。こう苦笑いするのも仕方ない。
普段の入場者数は1500人程度だが、8日の開催には2231人が入場。1周目のスタンド前を馬群が通過すると、ビジョンが見えなくなるぐらいの砂ぼこりが舞う。そして馬ふんの香ばしい匂い…。現場ではなければ味わえない喜びがそこにはある。
「若者はネット上のゲーム感覚で楽しんでいるのが主流になってるけど、やっぱり現場をライブで見て、その迫力を感じてほしいですよね。現場を見れば、馬券の上達にもつながりますよ」
8日の最終12Rでは3連単50万円弱の大穴。スタンドにはため息と羨望の声が交錯した。記者にとってオケラ街道の終着点となった、最寄りの名古屋臨海高速鉄道あおなみ線・名古屋競馬場前駅は開催終了翌日の12日、港北駅に名称変更する。












