【冬季五輪の主役たち(連載1)】1992年のアルベールビル五輪は6競技57種目が実施され、日本からは選手63人が参加。金1、銀2、銅4の計7つのメダルを獲得し、冬季五輪史上では史上最多(当時)となった。中でも注目されたのは「五輪の申し子」と呼ばれたスピードスケート女子の橋本聖子だ。

 19歳で初出場した84年サラエボ、88年カルガリーに続き、3大会目となる冬季大会に出場した橋本は全5種目(500、1000、1500、3000、5000メートル)にエントリーした。ただ選考レースを勝ち抜いて日本代表に選出されたものの、ヒザの故障とともに長年の肉体酷使の影響から記録が伸び悩んでいたため、橋本の代表入りを疑問視する声も出ていた。

 これに発奮した橋本は五輪だけに照準を合わせた調整に特化。毎日40~50キロの滑り込みで肉体を再強化した。そして迎えた1500メートルでは序盤からスピードアップし、終盤にラップタイムを落としたものの、自己新となる2分6秒88をマークし、銅メダルを獲得。日本女性として冬季五輪初の表彰台に立つ快挙を果たした。

 94年にリレハンメル大会にも参戦した橋本は、本職のスピードスケート以外に自転車競技にも取り組み、日本人として「前例のない」夏季五輪に挑戦。88年ソウル、92年バルセロナ、96年アトランタと3大会に出場。冬季と夏季と合わせて計7大会出場は日本女子の最多記録。まさに「五輪の申し子」にふさわしい活躍だった。

 そんな橋本にとって名前の「聖子」は呪縛でもあった。64年東京五輪の聖火に感動した父親が開会式の5日前に生まれた娘に命名。橋本はホームページで「父は私をオリンピック選手にしたいと本気で思っていました。『オリンピックに出るために生まれた』と聞かされて育ったので」とし「もし『聖子』という名前でなければ、ここに立つことは決してなかったでしょう」と苦悩の胸中を記している。

 その一方で「この素晴らしい聖火に恥じない人間になりたいと強く願い、そのためにどんな時も納得できるレースをしようと決意しました」とも書き込んだように、名前のおかげで女子初の五輪メダル獲得と7大会出場を果たせたのも間違いないところだろう。

 そんな橋本は1995年に参議院選挙(比例区)に出馬し、初当選。議員と自転車選手の〝二刀流〟で96年アトランタ五輪に出場した。現役引退後は日本スケート連盟の会長をはじめ各スポーツ団体でも活躍。くしくも2020年東京五輪では組織委員会の会長に就任。新型コロナウイルス禍で揺れる中、無事に大会を成功に導いた。