【平成球界裏面史 近鉄編107】平成13年(2001年)、6月7日、モントリオール・エクスポズの一員だったジェレミー・パウエル投手は近鉄バファローズに入団した。高校から平成6年(94年)、MLBドラフト4巡目でエクスポズに加入。98年にメジャーデビューすると、そこから3シーズンで5勝16敗という成績にとどまった。
メジャーではうまくフィットしなかった。だが、196センチの長身から投げ下ろすスタイルは日本ではまれ。4月首位でスタートした近鉄は5月終了時点でも貯金4の3位。ここで緊急補強されたのがパウエルだった。
チーム状態としては超打高投低で終盤に逆転する試合が多かった。それがどこまで影響したかは証明することはできないが、パウエルの勝ち星は4勝とあまり伸びなかった。だが、近鉄に入団以来、ローテーションをしっかり守り切り存在感を示した。14試合全てに先発し4勝5敗、防御率・4・95は物足りない成績ではあったが、歴代のリーグ優勝チーム最低防御率だった投手陣全体の4・98を少し下回っていたためパウエルの数字が問題視されることはなかった。
このシーズンは11勝を挙げ勝ち頭だった前川勝彦でも防御率は5・89。8勝を挙げた門倉健も6・49という惨状にあって、パウエルの数字はマシな部類という認識だった。その証拠に若松ヤクルトとの間で戦われた平成13年(01年)の日本シリーズでは第1戦の先発マウンドを任せられた。2回に岩村の適時打で1失点、6回にラミレスから3ランを浴び計4失点で敗戦投手にはなったが、近鉄最後の日本シリーズ第1戦に先発した投手はパウエルという歴史が残っている。
パウエルは同じ日本シリーズ、ヤクルトに王手をかけられた第5戦にも先発している。だが、初回から3失点してしまい1イニングで早々に降板。チームもそのまま敗れてヤクルトが日本一となった。結果的に近鉄は平成16年(04年)に消滅したため、パウエルは近鉄最後の日本シリーズでの先発投手であり、最後の敗戦投手として名を刻んでいる。
ちなみに、パウエルはリーグ優勝が決まったあとの9月29日、ロッテ戦で日本シリーズの予行演習として打席にも立っている。この試合で犠打を試みると、結果的に安打になってしまうプレーがあり来日初打席初安打を記録。このため、指名打者制度を導入以来、近鉄の投手として最初で最後の安打を記録した投手ともなった。
来日1年目は評価の難しい成績、活躍に終わったパウエル。だが、平成14年(02年)には確変を起こす。1年目のシーズンで日本の野球、日本打者の特徴を理解した上に、当時の近鉄・久保康生投手コーチの指導を受けたことで投球メカニックが劇的に改良された。
久保コーチは近鉄時代の大塚晶則や岩隈久志、阪神時代のジェイソン・スタンリッジ、ランディ・メッセンジャーなど長身の投手の育成、フォーム修正が大の得意。久保コーチの「自分の長身とマウンドの高さ、角度を存分に生かすフォームを取り入れなさい」という理論を理解したパウエルは、そのエッセンスをぐんぐんと吸収していった。
















