大相撲名古屋場所は後半戦へ。名古屋場所といえば、16日に肺がんのため69歳で死去した元横綱二代目若乃花の下山勝則さんが〝珍記録〟に関わっていた。
1976年名古屋場所の8日目、前頭筆頭だった若乃花は関脇荒勢と対戦。最初の立ち合いで荒勢がつっかけると、2度目も同じ形に。3度目で若乃花が右手を土俵につけて腰も割ったが、荒勢が嫌った。4度目は最初の2回と同パターン。5度目で若乃花が再び右手をつけて待つも、荒勢は首を小さく振った。6度目はまたまた、若乃花が手を下ろさないタイミングで荒勢がつっかけた。
異例の「待った」の繰り返しに業を煮やしたのか、勝負審判全員が土俵に上がり、高砂審判委員長(元横綱朝潮)らが両力士に勧告をするかのように話を始めた。結局、7度目にして立ち合い成立となり、左前みつを引いた若乃花が、前に出る荒勢を左の下手出し投げに仕留めて5勝目を挙げた。
最近の大相撲でも、待ったが2度、3度となれば審判長から叱責の声が飛ぶこともある。1回でも、力士が正面下の審判長に向かって頭を下げる光景は珍しくない。それにしても、6回は異例も異例。荒勢のつっかけが目立ったが、若乃花の方も相手となかなか目を合わせようとしなかった。若乃花は荒勢のような出足相撲や、突き押しタイプを苦手としていた。その場所たまたま、はやる荒勢と立ち合いに神経質な若乃花のギャップが最悪の形で出てしまったとも考えられる。
この場所9勝を挙げて三役に復帰した若乃花は翌年、大関に昇進。この年、美男で大鵬の若い時を思わせる均整のとれた体の人気力士には「ソウル若三杉」というディスコ調の応援歌がレコードになった。自身の歌唱でも「泣きぼくろ」をリリースしていたが、他のアーティストによる賛歌は珍しい。
荒勢とはさらなるエピソードも。83年初場所の引退当時、師匠の二子山親方(元横綱初代若乃花)の娘と離婚した二代目は、師匠絶対の角界にあって苦しい状況に。年寄株の確保ができない中で、元荒勢がタレント転身のため手放した間垣の名跡を襲名し、部屋を開くことができた。
荒勢は芸能界でも活躍し、2008年に59歳の若さで死去。柔と剛の好対照をなす若乃花と36年前、不名誉ではあるが、歴史に残る珍事を名古屋の土俵で刻んだ。












