大相撲の長い歴史の中で2012年夏場所から3場所の間、6人もの大関が番付に並び立つ時代があった。一人横綱に白鵬が君臨し、続く大関陣に琴欧洲、日馬富士、把瑠都、琴奨菊、稀勢の里、鶴竜が群雄割拠。元大関琴奨菊の秀ノ山親方(42=本紙評論家)による連載「がぶりトーク」では、史上唯一の6大関時代を回顧。当事者の視点から当時を振り返った。

【秀ノ山親方・がぶりトーク】読者のみなさん、こんにちは! 今回は「6大関時代」を振り返ってみたいと思います。1横綱6大関に、関脇と小結2人ずつを加えると11人。これだけ役力士がひしめく中で、15日間を戦い抜くのは大変です(苦笑い)。平幕には取りこぼせないし、大関以上との対戦では星勘定もできない。目の前の一番に全てをかけて、一つずつ星を積み上げていくことだけを考えていました。

 大関陣も、それぞれ特長があって強敵ぞろい。把瑠都はパワーが桁違いで上手を取られたら動けない。対戦する時には、まわしを取らせず中に入ってがぶって攻めることを意識していました。把瑠都が出稽古に来た時に「ちょっとトレーニングをする」と言って、軽トラックの後ろ側を持ち上げていたことがある(笑い)。バケモノみたいな力でしたね。

 日馬富士は突き刺さるような当たりで、瞬発力とスピードは群を抜いていた。稽古場から負けず嫌いで、こちらが嫌になるぐらい何度でも向かってくる。とにかくタフでしたね。鶴竜は前さばきがうまく、体勢が崩れずにジワジワと下から押し上げてくる相撲。自分の中では一番やりづらい相手と感じていました。

 琴欧洲は身長が2メートルと規格外。レスリング経験者だけあって、腕力の強さだけでなく体の使い方もうまい。私にとっても、同部屋の稽古相手に琴欧洲がいたことは大きかった。稀勢の里は左四つでガムシャラに前に出る相撲。私とは本場所だけでなく、稽古の段階から意地の張り合いだった。二所ノ関一門の連合稽古では「体が壊れても仕方がない」と覚悟を決めて臨んでいましたね。

 稀勢の里を含めて、ライバル同士の稽古は一切気が抜けなかった。わずかでも立ち遅れたら容赦なく張り手が飛んできたり、力を緩めた瞬間に持ち上げられて土俵に叩きつけられたり…。一番一番に厳しさがあったし、手の内を隠すような余裕もありません。互いに全力を出し切る稽古の中で、自分の相撲が磨かれていく感覚がありました。

 この時代は6人の大関全員が同年代で、ライバルに恵まれていた。自分から見て、鶴竜は入門が1期先で稀勢の里は1期後。他の大関も年齢が同じか1つ違うだけでした。それぞれが「自分が一番強い」「同世代には絶対に負けたくない」という気持ちで戦っていた。ライバル同士の切磋琢磨が、その後の横綱誕生(日馬富士、鶴竜、稀勢の里)につながったのだと思います。

 先の春場所後には霧島が大関復帰を果たし、2横綱3大関の布陣となりました。豊昇龍と大の里が競い合って横綱に上がったように、霧島、安青錦、琴桜の大関陣も「次は自分が横綱に上がる!」と互いに対抗心を燃やしているはず。次の夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)では、火花を散らし合うような熱戦を期待したいですね。それではまた!

(随時掲載)