【多事蹴論(46)】エースと闘将が激しく対立した“事件”の真相とは――。15歳だった1982年に単身ブラジルへ渡り、19歳の86年にブラジル1部の名門サントスと契約。プロ選手となったカズことFW三浦知良はブラジルの各クラブを渡り歩き、90年に日本リーグの読売クラブ(のちのV川崎、現東京V)に加入。逆輸入のストライカーは不動のエースとして躍動し、プロサッカーのJリーグが発足した93年にはV川崎を初代王者に導いた。

 そんな90年代のV川崎で、闘将と呼ばれていたキャプテンのDF柱谷哲二がエースのカズと真っ向から“対立”していた時期があった。カズはチームのゴールゲッターとして得点を量産していたものの、ときに中盤まで引いてきてボールをさばき、再び最前線に戻っていくが、その回数があまりにも多いことに、守備ラインを統率する闘将は不満を募らせていた。

 柱谷は「カズが引いてくるから前線にターゲットがいなくなり、DFからパスを出す選択肢が少なくなる。だからずっと“戻ってくるな”と言っている」と語気を強めた。特にカズが中盤に引くことで敵マークも引き連れてくるため、攻撃の構築にも支障が出ていた。これはV川崎だけではなく、日本代表でも同じ。94年12月に就任した日本代表監督の加茂周も練習中から「カズ、下がってくるな! 前に張ってろ!」と声を張り上げて連呼していたように、周囲はカズの“悪癖”と捉えていた。

 特に点取り屋のエースが中盤に下がってくることで、味方が連係し、うまくゴール前にボールを運んでも、最後に決めるストライカーのカズが間に合っていないケースやカウンターを狙える場面でもカズ以外のFWが連係を取れず孤立する場面も出てきた。だからこそ柱谷は「カズが前にいれば点を取るチャンスも多くなる。だから下がってくるなと言っているんだけど…」と訴えていた。

 チームとしてもエースの下がり癖の改善を求めていたが、カズは柱谷らチームメートの助言に猛反発する。「自分のペースやリズムをつくるためにもなるべくボールを触った方がいいからだよ。その方が自分のプレーに集中できる。だからボールを受けにいっているだけ」と語り、自身が最終的にゴールを奪うために必要なプレーであることを強調していた。

 こうした状況にクラブ幹部は「サッカー界ではよくあること。プロなんだから自分の意見を主張し合うのも必要なことだよ」と静観。最後はプロフェッショナルらしく「チームのため」と互いの主張を少しずつ受け入れたが、深刻な状態が続けば正面衝突しかねない状況だった。 (敬称略)