ブラインドサッカー・川村怜 常に自分を変え続けていくことを追求

2020年11月23日 10時00分

川村はキャプテン翼と同じ背番号10を背負う(JBFA/H.Wanibe提供)

【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(19)】“ブラインドサッカー界のキャプテン翼”をご存じだろうか。開催国枠で初のパラリンピック出場を決めている日本代表は、虎視眈々と大物食いを狙う。そんな中で主将の川村怜(31=アクサ生命保険)は「翼くん」と同じ背番号10を背負い、世界の強者(つわもの)たちに挑む。

「見えにくいっていうハンディキャップがある中では難しい」。小学校6年間はサッカーに熱中していた一方で、5歳のころに患ったぶどう膜炎の影響で視力が著しく低下。中学・高校時代は泣く泣くサッカーを断念し、陸上部に所属した。しかし「遊ぶときはサッカーが多かったし、サッカーのユニホームとかを着て陸上部の練習で走ったりしていた」と、サッカーへの未練を断ち切ることができなかった。

 すると大学入学後に、導かれるようにサッカーの世界へ再び足を踏み入れた。「大学を拠点にしているブラインドサッカーのチームがあって、たまたま通りがかったら声をかけてもらった。アイマスクをしてプレーをするとか、ボールの音が鳴るとか、いろんな工夫がされているので、自分も挑戦できるかなと思った」

 その後に紆余曲折がありながらも、2013年に日本代表入りを果たす。だが、当時は世界の強敵相手に歯が立たず「戦えている自覚はあったけど、勝利するところまでは描けていなかった」と振り返る。それでも、16年に主将となり「僕たちが躍動する姿、勝利をする姿を見せることで、一人でも多くの方にブラインドサッカーの魅力を知ってもらったりとか、競技の魅力の本質的なところを伝えていきたい」と一念発起。リーダーとしてピッチ内外でチームを引っ張った。

 近年は国際大会で好成績を残すようになったが「チームとして変化を恐れずにいきたい。だけど軸というか、志はブレずに追求していきたいって思いは常に持っている。とにかく変化、自分を変え続けていく。進化していくってことを追求していきたい」とさらなる高みを見据える。
「チームとしては金メダルを獲得すること、優勝した姿を国民に届けたい」と意気込むストライカーが日本代表を頂点に導く。 

 ☆かわむら・りょう 1989年2月13日生まれ。大阪府出身。5歳の時にぶどう膜炎を発症。小学校1年からサッカーを始めたが、視力の低下もあり、中学・高校時代は陸上部に所属した。大学時代にブラインドサッカーと出会い、再びサッカーの世界へ飛び込んだ。全盲と診断された2013年に日本代表入りを果たすと、16年からは主将を務める。現在はアクサ生命保険の広報部に勤務しながら、パペレシアル品川でプレー。子供時代に憧れていた選手は元日本代表FW中山雅史(J3沼津)。169センチ、63キロ。

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