“最強”と呼ばれた全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者・故ジャンボ鶴田さん(享年49)の「23回忌追善興行」(5月31日、後楽園ホール)開催が発表された。いち早く永遠のライバルである“炎の飛龍”こと藤波辰爾、ジャンピングニーの継承者・秋山準、“邪道”こと大仁田厚の参戦が決まった。
鶴田さんは2000年5月13日に49歳の若さで亡くなり、長く望んでいた当時、新日本プロレスだった藤波との“夢の対戦”は実現しないまま終わった。しかし実は1978年10月4日、1度だけ新日本プロレス道場でまさかの合同練習が実現している。ともに2日後にシリーズ開幕を控えており、本紙はその一部始終を1面で報じている。
『日本マット界の明日を背負う男、ジャンボ鶴田(全日プロ)と藤波辰巳(新日プロ)がガッチリと握手。4日夜、鶴田がフラリと東京・世田谷区等々力の新日プロ道場に姿を見せた。全日プロの道場が改築中で、開幕を控え満足な練習ができず「悪いが道場を貸してくれないか」と前から付き合いのある藤波に連絡し「世紀の顔合わせ」が実現した。午後7時から約2時間、汗を流した鶴田と藤波は歓談。「今度は俺の方にも来てくれ」と鶴田が言えば「ぜひ行きたいねえ」と藤波。明日の日本マットを背負う男と男の友情は一気に深まった』
雑誌の対談で顔を合わせたことはあったが、リング上での合同練習は初だった。あまりに突然の「大物合体」だったが、慎重派の鶴田は「僕と藤波さんが会ったといえば、すぐに何かと騒ぎ出す人がいるからねえ」と笑うや「これが例のコシティに使うやつなの」と新日本伝統の器具を手に取ったが、なかなか思うように回せず「意外と難しいよ。うまくバランスが取れない」と藤波を見るや、藤波は「僕が手本を見せるよ。タイミングの取り方がポイントなんだ」と軽々とピンを扱い、のみ込みの早い鶴田は早々とリズミカルにピンを回したという。
2人はリングに上がるや屈身運動、ヒンズースクワット、ロープ運動で汗を流した。鶴田が「スパーリングをやろうか」と持ちかけると、藤波は「ウソでしょ。まずいんじゃないですか」と笑いながらサラリとかわして約2時間の合同練習を終え、歓談が始まった。
『鶴田「WWWF(現WWE=世界ジュニア)の防衛戦はあるの?」。藤波「20日(寝屋川)にチャボ・ゲレロとやることになってます」。鶴田「何回かやったことはあるけど、ラフファイトが強いから気が抜けないね」。藤波「鶴田さんは?」。鶴田「自分としてはロビンソンのPWFに挑みたいけど…。あるのは(馬場との)インタタッグ(25日、小樽)だけ。相手はブッチャーとブラジルの黒人コンビなんだ」。藤波「そっちも大変な相手ですね」と語るや「お互いに全力を尽くして戦おう」と握手した』
実に友好的だ。この結果、藤波は今でも伝説となっている寝屋川大会の大流血戦でゲレロを撃破してV10を達成。馬場、鶴田組も2―0のストレート勝ちでV4を決めた。両雄は翌79年8月26日日本武道館の東京スポーツ新聞社主催「プロレス夢のオールスター戦」でトリオ(鶴田、藤波、マスカラス)を結成するが、それがリング上で並び立つ最後の光景となった。81年には両団体が引き抜き合戦で冷戦状態に入ったため、戦う状況はますます遠のき、結局は両雄が激突する瞬間は訪れなかった。68歳の藤波は昨年デビュー50周年を迎え、現在も記念ツアーを展開中だ。追善大会では、天国の鶴田に届けとばかりにリング上で躍動する姿を見せてくれるだろう。(敬称略)












