5日に亡くなったボクシングの元WBA&WBC世界ヘビー級統一王者レオン・スピンクスさんの日本初登場は、1986年10月9日の新日本プロレス両国国技館大会で行われたアントニオ猪木戦だ。

 3分12ラウンド(R)の異種格闘技戦として行われ、モハメド・アリ戦と違ってキック、投げ技が認められた。寝技も10秒以内ならOKで、5カウントのピンフォール決着も採用された。レフェリーはボクシングの元WBC世界ライト級王者のガッツ石松が務めたものの、グローブ着用を義務付けられたスピンクスには圧倒的に不利なルールだった。

 決戦前にはアリが本紙にコメントを寄せ「現役とはいえ、一線級から退いた今のレオンは本当にアンラッキーだ。イノキはレオンに勝つ」と予想している。

 猪木は前半3Rまでグローブをつけてあえてボクシングマッチを挑んだが、元世界王者に通じるわけがなく、スピンクスは左右のストレートで4度のダウンを奪った。

 4Rから猪木がグローブを外したが、スピンクスはフットワーク軽くパンチを連射。5Rには5度目のダウンを奪い、“アリを倒した男”の貫禄を示した。だが7R、猪木はルールでは禁じられていた関節技(腕ひしぎ十字固め)を仕掛けて形成逆転。“おきて破り”の攻撃にスピンクスは体力を使い果たし、8Rに反則の関節技を決められたまま体固めでフォール負け。何ともカオスな試合だった。