“邪道”大仁田厚が明かすスピンクスさん「数奇な人生の裏側」

2021年02月08日 05時10分

大仁田VSスピンクスさんの異種格闘技戦(92年5月)

 ボクシングの元WBA&WBC世界ヘビー級統一王者レオン・スピンクスさんが5日に67歳で死去したことが明らかになり、日本のマット界にも衝撃が走った。史上最強のモハメド・アリ(故人)からベルトを奪った実力者だったが、コカイン所持や拳銃所持で逮捕された「お騒がせ王者」としても有名。1986年には新日本プロレスでアントニオ猪木と対戦し、90年代には邪道・大仁田厚(63)率いるFMWに参戦するなどプロレスのリングにも上がった。数奇な人生の“裏側”を邪道が追悼公開――。

 スピンクスさんの死は、米国メディアの報道で6日(日本時間7日)に明らかになった。2014年には体調を崩し、ここ数年は前立腺がんで闘病生活を送っていたという。

 ミズーリ州セントルイス出身でアマチュア時代の1976年モントリオール五輪のボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得。77年にプロに転向し、78年2月にはプロ8戦目でアリからヘビー級王座を奪取し「世紀の番狂わせ」と言われた。

 プロレスにも進出し、86年10月には新日本プロレスでアントニオ猪木と異種格闘技戦で対戦。その後は89年に大仁田が旗揚げしたFMWにも参戦し、92年5月には異種格闘技戦ノーロープ金網デスマッチで世界マーシャルアーツ王座をかけて大仁田と対戦した。

 大仁田は本紙の取材に「俺が史上初めて巡業に連れて行ったと思う。地方の体育館でも試合をしてもらったからね。彼を呼んだのは、FMWの財政上ではイチがバチだった。ただ上を見るには勝負をかけるしかないじゃないですか。メジャー団体に負けたくないっていう意地もあったんでしょうね。だから勝負をかけたんです」と振り返る。

 新日本プロレスと全日本プロレスしかない時代、新興団体のFMWは大物招聘に活路を見いだした。そこで白羽の矢を立てたのがスピンクスさんで、参戦の承諾を得たが「ギャラを前金で払ってくれ」という連絡が来た。1試合のギャラは5万ドル(当時のレートで約670万円)。FMWにとっては破格の金額だったが、大仁田はゴーサインを出し、参戦が実現した。ただ当時は総合格闘技が認知される前で、ボクシングの世界ヘビー級王者が「世界最強」とみられた時代。その元王者が日本のプロレスインディ団体に上がり、地方巡業に同行する姿は話題を呼んだ。

 大仁田が実情をこう明かす。「往年はつらかったんじゃないかな。自分から言ってたけど、取り巻きが多すぎて、稼いだギャラをほとんど持っていかれたらしい。元世界チャンピオンだから、見栄も張らないといけなかっただろうし。だからギャラの前借りが多かったなあ。何十億だ、何百億だという大金を稼いでも、お金がなくなってしまう現実を僕はレオン・スピンクスに見ましたよ」

 FMW参戦時は明るくて陽気なキャラだったが、ボクシング王者時代からコカイン所持や拳銃所持で逮捕されるなど「お騒がせ王者」のイメージがあった。晩年にはホームレス生活も報じられ、お金には縁がなかった。

 それでも大仁田は「実際にレオン・スピンクスをFMWに呼んだ効果は大きかったよ。こういう大物を呼ぶことで東スポだって扱ってくれたわけだし、マスコミさんは記者を送ってくれた。FWMの歴史の中で、一つの歴史をつくってくれたことに敬意を表します」と話し「安らかにお眠りください」と哀悼の意を表した。

 世界最強からの“転落人生”を味わった一方、日本プロレス界に対して意外な功績があったことは間違いない。

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