1月も終わろうとしていた東北は凍てつくような寒さだった。
「走るぞ!」
天龍源一郎が阿修羅原、サムソン冬木、川田利明に声をかけた。急に雪が舞い始めたからだ。「天龍同盟」が宿舎・玉川旅館から昼食に向かうところを必死で追いかけた。
天龍は雪がやむと、大きなつららを2本ポキリと折り、両手に1本ずつ持って冬木の後ろに回り、鬼の角に見立て頭に乗せるふりをしてからかった。
そして、しゃがみ込むと今度は自ら頭に角のポーズをつくっておどけて見せた。皆はそれを見て笑いカメラに納まった(写真)。
岩手県内には鬼にまつわる伝説が多く残っていて、隣接する北上市には「鬼の館」が存在する。天龍はそれにあやかったのだろう。天龍は報道陣、特にカメラマンに嫌な顔を見せないので、リングを降りたオフショット撮影の時にはいつも助けられた。
食事の席には小川良成が待っていた。皆でビールで乾杯の絵をつくり、カメラマンはその場を後にした。今から32年前の1988年1月28日、岩手・花巻市での出来事だ。
「天龍同盟」は87年6月4日、巡業のオフ日に天龍が名古屋のホテルで阿修羅原と話し合いを持ち、決起された。全日本マットの活性化を第1の目的に掲げ「あの2人(ジャンボ鶴田、輪島大士)を本気にさせてやる」と「天龍革命」をスタート。天龍&阿修羅原の「龍原砲」に、ほどなく川田と冬木が合流、天龍の付け人だった小川も加わり天龍同盟は勢力を増した。
天龍同盟は地方の興行でも手を抜かず、毎試合20分以上の全力ファイトを展開。それは対戦相手にも波及し、好勝負が生まれた。鶴田も徐々に本気になり、眠っていた(?)怪物ぶりを見せつけた。
天龍革命はファンの支持を受け、確かに全日本マットは天龍同盟を中心に活性化していった。
それにしても、輪島への非情な攻めはエグかった。天龍の顔面への蹴りで、輪島の額にリングシューズのひもの痕がつくぐらい厳しいものだった。時に、ボコボコにするという表現がしっくりくる試合もあった。
今年の8月、本紙の連載企画「龍魂激論」で天龍と対談した前田日明は「輪島さん死んじゃうよって思っていました。天龍革命でUWFが話題にならなくなった。危機感を持ちましたよ。ハンセンをノックアウトしたり、やりたい放題でしょ」と天龍に語った。
そのスタン・ハンセン30秒失神事件が起こるのは、この写真を撮影した約1か月後のことだ(敬称略)。












