【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】 6月24日からの阪神―中日3連戦では、阪神・梅野隆太郎捕手(31)が大活躍した。第1戦の8回、代打で決勝2点適時打を放ちヒーローとなると、25日も10―0の大勝へリード、打撃の両面でけん引。連日のお立ち台で「明日も勝つバイ」の決めぜりふを発した。

 阪神はその勢いのまま26日の第3戦を延長11回の末に勝利。伏兵・熊谷敬宥内野手(26)のプロ初のサヨナラ打で同一カード3連戦3連勝を決めた。

 これで借金も4にまで減少。梅野が放った「明日も勝つバイ」というせりふを連日にわたり有言実行する結果となった。

 何とも景気のいい「明日も勝つ」というフレーズ。本当に勝てばなお良いのだが…。過去の歴史をひもとくと「呪いの言葉」と思ってしまうほどゲンの悪さが目立っていた。

 発端とされるのは23年前の1999年6月12日、阪神―巨人(甲子園)だ。若き日のビッグボス、阪神・新庄剛志が槙原寛己の敬遠球を打ちに出て、まさかの左前サヨナラ安打。試合後のヒーローインタビューで「明日も勝つ!」と高らかに宣言した。

 だが、月内の残り14試合を阪神は5連敗を含む3勝8敗3雨天中止と大きく負け越し。この期間に順位を2位から3位へと下げてしまった。

 これだけでは終わらない。同年9月10日の巨人戦で新庄が決勝本塁打の活躍。この日もお立ち台で「明日も勝つ!」と豪語した。すると翌日から球団ワーストタイの12連敗を喫し、最下位フィニッシュとなってしまったのだから恐ろしい限りだ。

 そして時は巡って20年後の19年。4月9日、DeNA戦でサイクル安打を達成した阪神・梅野がお立ち台で「明日も勝つバイ」を初披露した。虎党に「明日も…」と呼びかけ「勝つバイ」とレスポンスしてもらう新スタイルを確立させた。

 新たな時代の到来。過去の「呪縛」を払拭できるかと予感させた。だが、チームは翌日から4連敗。さらに6月12日のソフトバンク戦でヒーローとなった梅野が同じパフォーマンスを実行すると、翌日から引き分けを挟み6連敗という悪夢を見る結果となってしまった。
 この「6月12日」というのは新庄の最初の「明日も勝つ」からちょうど20年。新庄、梅野もともに博多出身という偶然も重なり、かつての12連敗の呪いの再発動かと一部、虎党の間では話題となった。

「梅野はお立ち台のたびに毎回言うんやから、ジンクスもクソもないよ。そのうち誰もそんな話題に触れなくなるって」と阪神関係者は笑い飛ばすが結果はいかに。

 22年は梅野の「明日も勝つバイ」ダブルから連勝した。虎の都市伝説がどういう流れになっていくのかにも、ひそかに注目している。


 ☆ようじ・ひでき 1973年生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、ヤクルト、西武、近鉄、阪神、オリックスと番記者を歴任。2013年からフリー。著書は「阪神タイガースのすべらない話」(フォレスト出版)。21年4月にユーチューブ「楊枝秀基のYO―チャンネル!」を開設。