【加藤伸一連載コラム】戦力外後に見知らぬ番号から直電!「どちらの星野さんですか?」

2021年07月13日 11時00分

先発で8勝を挙げながら広島を去ることに
先発で8勝を挙げながら広島を去ることに

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(37)】FA権を行使しての米大リーグや国内他球団への移籍、トレードなどはファンも関心が高く、プロ野球には欠かせない話題の一つでしょう。ただ、当事者となると楽なものではありません。

 1983年のドラフト会議で南海から1位指名された僕は、ダイエーへの身売りに伴う福岡への移転、戦力外通告による広島への移籍を経験してきました。いずれも大変なことでしたが、最も時間と労力を割いたのは98年オフに広島から自由契約となったときです。

 すでにFA権を取得していましたが、行使は見送りました。移籍金が発生すれば球団によっては手を出しにくくなるからです。1年間、先発ローテを守り、最終的に8勝6敗、防御率2・99の僕が戦力外になると公になったのは9月25日付の九州スポーツの記事。2日以内に各社が追いかける形となり、大っぴらに他球団への移籍に関する話題ができるようになりました。

 各球団からのアプローチが始まったのは10月2日の広島での最終登板から3日後でした。近鉄、巨人、阪神、中日、オリックス、ダイエーの6球団。新聞記者を通じて探りを入れてくる球団もあれば、早々に条件提示してくれたところもありました。

 交渉場所は主に広島や福岡などのホテルで、日程を決めるのも部屋を押さえるのもすべて自力。“やり手の営業マン”よろしく、アタッシェケースを手に各球団の幹部や編成担当者との話し合いを重ねていきました。

 なかでも驚いたのは中日・星野仙一監督からの“直電”です。見知らぬ番号で「星野や!」と言われて最初に思い浮かんだのは、オリックスに在籍していた同学年の星野伸之の顔。どうにも声が違っていたので恐る恐る「どちらの星野さんでしょうか?」と尋ねたら、泣く子も黙る闘将だったのです。シュートで果敢に打者のインコースを突く投球スタイルが「俺に似ている」と褒めていただき、何より「とにかくうちに来て、夏場だけでも救ってくれ!」との言葉には心打たれるものがありました。名古屋という土地に接点がなかったことから最終的にお断りすることにしましたが、星野さんの“熱さ”は忘れられません。

 各球団との交渉を進める中で、僕には相談する相手が2人いました。もちろん1人は妻で、もう1人はプロ入り時の恩師でもある河村英文さん。85年に南海を退団した後は福岡を拠点に評論家をしながら中洲でスナック「MEET15」を経営されていて、何かあるとマスターに相談させてもらっていたのです。

 ラブコールを送ってくれた6球団はどこも魅力的で悩みに悩みました。古巣のホークスに戻りたいという気持ちもあったし、西鉄育ちの英文さんは「やはり野球は巨人。俺も小さいころには憧れていた」と言います。さあ、どうする――。ひとまず選択肢から消した球団にお断りを入れようと思った矢先に、予期せぬ展開が待っていました。

 ☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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