【藤田太陽連載コラム】このままならダメだ…ジェフ・ウィリアムスに相談した

2021年02月23日 11時00分

親身になってくれたウィリアムス

【藤田太陽「ライジング・サン」(27)】常に上位争いを繰り広げるようになった阪神タイガースを尻目に、僕は戦力になれないジレンマと闘っていました。そんな中、活路を見いだそうと投球フォームをスリークオーターに変えました。

 一軍に呼ばれてはまた二軍に逆戻りの繰り返し。二軍では結果を残せるんですが…。それでも、一軍で圧倒的な結果を残すJFKに勝つのは無理かなあと思う自分もいました。

 そこで、ジェフ・ウィリアムスに相談しました。7歳年上の先輩でチームメートです。腕を下げるフォームを自分のものにしようと「教えてほしいんだ」と素直に申し出ました。すると快諾してくれました。

 ジェフは「実は俺ももともとオーバースローだったんだ。それをサイドにして人生が変わったんだ」と親身になって相談に乗ってくれました。

 聞いても、自分がモノにできないかもしれない。でも、何もしないよりマシ。ダメもとで、どうせこのままならダメなんだから。そんな思いで、キャンプ中もジェフにマンツーマンでずっと教えてもらってました。ずっとついて回ってスライダーも教えてもらいました。

 でも、その後もずっとファームでした。細かい数字のことはあまり覚えていませんが、二軍でリリーフに転向したころは無双モードでした。能見篤史(オリックス投手兼任コーチ)とファームの勝利の方程式です(2008年の藤田はウエスタン・リーグで26試合1勝1敗、防御率0・75、能見は29試合5勝1敗11セーブ、防御率0・83)。

 そうこうする間に他球団の編成の方々が声を掛けてくれるようになっていました。「なんで腕を下げたの? その方がいいじゃん」という具合です。そこから、右ヒジの術後経過などいろいろと聞かれたりしました。

 本当は直接、接触してはいけないので、あくまで雑談というかコミュニケーションの一環ということですね。でも、僕には分かりました。これは明らかに調査されていると。

 自分としてはファームでの成績は良好でした。でも、一軍には呼んでもらえない。それどこかで「僕もそろそろユニホーム脱ぐのかもしれない」という気持ちになっていたころです。でも、他球団の編成の方々から声を掛けていただいていくうちに、気持ちがガラッと変わりました。

 ドラ1で獲得してもらって阪神の一軍で結果を出すことがベストには違いない。でも、阪神の一軍だけが野球じゃない。興味を持ってもらったという事実が、僕のやる気スイッチをドンと押してくれました。

 この場面では打者から何を狙われているのか、自分の投球ではこの場面では何が武器になるのか。あの球を狙っているだろうから、この球でいこうか。

 今までは阪神の一軍でこうしよう、どうしようというのがすべてでしたが、自らの状況を俯瞰で客観的に見られるようになりました。

 親から授かった素材だけで野球をしてきた自分。名門校から全国大会に出て結果を出してきたライバルに対し、持っていた劣等感も薄れていました。僕はこのころ、やっと野球選手になれたんです。

 ☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。

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