【久保康生 魔改造の手腕(最終回)】タイトルにもある「魔改造」という表現。私としてはそんなつもりはなく、当たり前のことを伝えているだけなんです。軸足を過度に折らない。そのままホーム方向へ大きな柱を倒すように、重心を上から下に移動させる。自然の摂理に従ったシンプルなことを選手たちに理解してもらうよう努めました。

 根底にあるものは同じです。大塚晶文、岩隈久志ら近鉄時代から始まりメッセンジャー、スタンリッジ、能見の阪神勢、高橋純平らホークスの投手たちにも、人によってアプローチは違いますが、同じコンセプトで技術的なサポートをさせてもらいました。

 行き詰まった時には既成概念を覆す。この考えも大事な要素です。頭を突っ込んで投げてはいけない、頭を振るなと言う指導者もいますが、400勝投手の金田正一さんはどうでしょう? 名球会の堀内恒夫さんは? ジェレミー・パウエルは、岡島秀樹は? 頭が先頭で、その頭が地面に近づいていかないと手が前に出ません。リリースが前にこないですよね。「頭を振るな」。昔、誰かから聞いた言葉を今の選手に投げかけて、選手たちが実行している現状があるなら、それは怖いことです。

 いろんな出会いに恵まれ、その中から私の指導の引き出しは生まれてきています。少年時代の山遊びや川遊びもそうです。プロに入ってからは2年目のオフ、外野のレギュラーだった平野光泰さんに自主トレに誘われたところから、基礎体力が備わりました。

 12月1日から岡山に山ごもり。本当に死ぬほどキツかったですね。これを5年ほど継続しました。OSK岡山スポーツ会館の高見五十二さん監修のトレーニングは合理的で、壮絶な厳しさでした。

 不思議なご縁で高見さんはその後、52歳で近鉄バファローズの面接を受け二軍トレーニングコーチも務めました。若き日の岩隈もお世話になっているんですよ。

 カズ山本さんを預かっていただいた近畿クレスコ・堀川三郎会長はスキー場も経営されていて、その後のオフの自主トレでは雪山をお借りしました。スキー場なのに滑らず山を登り下りしている変な人です。野球選手になんて見えません。そばでスキー教室に来ていた女性と出会うのですが、それがのちの家内なんです。

 人は縁があってつながっています。常にいろんな人にお世話になって、出会いがありプロ野球の世界で44年やってこられたのだと思います。本当に感謝です。

 私は現在63歳ですが、両親はいまだ健在です。父・安治は92歳、母・康子は88歳。父は優しい性格で「だますより、だまされたほうがいい」というのが口癖でした。その考え方が今の私の根っこにもあります。そこに面倒見が良く豪快な母、姉・佐津子と兄・和也がいて、私の家族の明るい物語が紡がれていきました。完成した一つのストーリーが私自身の人生だと表現できます。改めて自分を産んで育ててくれた両親に感謝です。

 同じく一緒に歩いてくれた家内・三代子に感謝です。音楽を学び、大学へ通っていたところを辞めてまで、私の夢に付き合ってくれました。4人の子供たちも授けてくれました。子供たちからもたくさんの楽しみをもらっています。長女の友香里は4歳からクラシックバレエに打ち込み、ニューヨーク留学まで経験してくれました。今は母となり、孫は野球をしています。新しい楽しみをもらっています。

 長男の圭、双子の次女、三女・啓子、宣子はプロゴルファーです。よくテストに合格してくれました。活躍するに越したことはないですが、人生を大事に歩んでほしいです。

 そして最後に、読者の皆様ありがとうございました。ご縁に感謝です。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。