チャンネル登録者数100万人の人気YouTuberであり、中京学院大学教授でもある高須クリニック名古屋院・高須幹弥院長(51)のインタビューはついに最終回。高須クリニック院長で父の高須克弥氏(81)について直撃した。幹弥院長を医学の道に導いた克弥氏の教育方針、そして幹弥院長も驚愕したという全盛期の克弥氏の働きぶりとは――。
【高須幹弥院長インタビュー(4)】
――高須院長はいつごろからお医者さんになろうと思ったのか
高須 小学1年生とか物心ついたころですかね。医者の家系でしたし、愛知県西尾市の自宅は高須病院の隣で、看護師さんたちの寮もくっついていましたし、夜中でも患者さんの容体が急変すれば、父は病院に行っていたので、そういう(自分も医者になる)ものなんだなって感じでした。
――東海高校卒業後、藤田医科大学に入学し、本格的に医療の道を歩み始めた
高須 大学では解剖学や組織学、病棟での実習などを経験しました。ポリクリ実習といって病院の全ての科を回って医療の現場を体験するのですが、実際に手術などを見て大変なんだなと思いましたね。
――医師免許を取得しても、すぐには高須クリニックでは働かなかった
高須 藤田医科大学を卒業して、いきなり美容外科には進みたくなくて、まずは救急をやって、全身管理ができるようになりたいと思っていました。研修医の間にいろんな科を回り、麻酔科標榜医の資格を取り、大学院にも所属して研究を行って博士号を取りました。群馬県立がんセンターに1年間赴任したりして、32歳から高須クリニック名古屋院の院長を務めています。
――さまざまな医療現場を経験したかった
高須 そうですね。医師の仕事は人の命を預かっています。手術やカテーテル治療などいろいろあるんですけど、手術自体も難しく、リスクがあって、100%うまくいくとは限らない仕事です。手術前に説明もちゃんとしないといけないし、説明するのも大変です。手術した後も術後管理を何日間もしないといけない。その間に容体が急変すれば、患者さんや患者さんのご家族から不満が出てくることもある。訴訟リスクも抱えながら、人の命を救うために頑張るので、過酷な仕事だなって普通に思いましたね。
――子供の頃、父親である高須克弥院長の教育方針はどんな感じだったのか
高須 父は日本全国を回っていたので、家にいない日も多かったんです。だから子供の頃、そんなにしゃべったという思い出はなかったですね。教育方針は厳しかったですよ。すごく叱られたこともありましたが、それは僕が悪いことをしたときだったので、厳しく育ててくれた父には感謝していますね。
――克弥院長はそんなに日本全国を飛び回っていたのか?
高須 そうですね。僕が高須クリニックでしっかり働くようになるまでは、休みは週1ぐらいだったんじゃないですか。全国を回って何件も手術を行っていましたし、テレビ番組にも出演していましたから。「3時のあなた」(フジテレビ)や「11PM」(日本テレビ)、それに(笑福亭)鶴瓶さんが司会をやっていた「歌謡びんびんハウス」(テレビ朝日)などいろいろな番組に出ていました。
――子供心に父親の働いている姿を見てどう思ったのか?
高須 子供の頃はそんなに働いている現場は、見ていなかったからなあ。僕が医者になって高須クリニックに出入りするようになって、こんなに働いていたんだなって思いましたね。
――同じ職場で働くようになって、改めて克弥院長のすごさが分かった
高須 本当にすごく仕事をしていましたね。多分、働くことが好きなんだと思います。仕事することが本当に楽しいというか、仕事が趣味という感じ。1日にこなす手術件数も圧倒的に日本一でしたからね。全国を飛び回って、すごい体力で働いていて。結局、自分が頑張れば頑張るだけ成果、結果、数字が出るので、そういう人って仕事が楽しくなると思うんですよね。仕事を命令されて嫌々やるんじゃなくて、自分でやりたいと思ってバリバリやる。結果がどんどん出るから、仕事が楽しくなるんだろうなと思います。僕は今、51歳ですけど、いまだにあの頃の〝全盛期の高須克弥〟の働きぶりにはかなわない。自分もまだまだ働かなければと思いますね。












