大相撲の元大関若嶋津(本名・日高六男さん)が15日、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。69歳だった。現役時代は「南海の黒豹」のニックネームで人気を博し、2度の優勝を達成。当時のアイドル歌手だった高田みづえさんと結婚したことでも世間の注目を集めた。
昭和の大相撲史に名を刻んだ人気力士が、この世を去った。現役時代は浅黒く精かんな顔つきと俊敏な動きから「南海の黒豹」のニックネームで人気を博した。身長188センチの長身で、体重は一番重い時期でも120キロあまりのソップ型。左四つで寄りや投げ、吊りを得意とし、真っ向勝負の粘り強い取り口で見る者を魅了した。中でも語り草となっているのが、1985年春場所で横綱の千代の富士と優勝を争った一番だ。
両者は巻き替えの応酬で互いに譲らず、勝負は約1分半にも及んだ。最後は若嶋津が千代の富士を寄り倒して制した大熱戦に観客は熱狂。今でも昭和の大相撲史に残る名勝負として相撲ファンに記憶されている。一方で、番付の頂点には手が届かなかった。前年84年は春場所で初優勝を果たし、名古屋場所は全勝で2度目の優勝。蔵前国技館最後の場所となった秋場所で綱取りに挑んだ。
しかし、伏兵の平幕多賀龍(現鏡山親方)に賜杯をさらわれてまさかのV逸。横綱昇進はかなわなかった。それでも優勝2回、大関では数少ない年間最多勝(84年=71勝)を獲得するなど残した実績は特筆に価する。85年2月には、同郷の鹿児島出身で国民的なアイドル歌手だった高田みづえさんとの婚約を発表。土俵内外の両面で世間の注目を集めた昭和のスター力士だった。
87年に現役を引退して年寄「松ヶ根」を襲名。90年に独立し、元小結松鳳山らを育て上げた。2012年に日本相撲協会の副理事、14年には理事に就任。出身地の九州場所担当部長のほか、審判部長など協会の要職を歴任した。また、同14年に年寄「二所ノ関」を襲名し、名門部屋を復活させた。
17年には千葉・船橋市内の路上で倒れているのを通行人に発見され、市内の病院に救急搬送。4時間半に及ぶ開頭手術を受けて一命を取り留めた。その後はリハビリを経て親方の職務に復帰。定年まで勤め上げ、再雇用後の23年7月に相撲協会を退職していた。













