バルセロナ五輪柔道銀メダルでプロレスラーとしても活躍した〝元暴走王〟小川直也氏(57)が、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を更新。〝最強の柔道家3人〟を厳選ピックアップした。
最初に挙げたのは、1992年バルセロナ五輪71キロ級金メダルで〝平成の三四郎〟こと故・古賀稔彦さん(享年53)だ。90年4月、体重無差別の全日本選手権決勝で小川氏は古賀さんと激突。古賀さんは軽量級ながら100キロを超える重級陣を相手に「柔よく剛を制す」で決勝まで勝ち上がり、当時の重量級世界王者だった小川氏に挑んできた。
小川氏は「あいつはどう思ってたのか知らないけど、一番のライバル。あいつの生き方も、考え方も、ハチャメチャなところもリスペクトしてた。オレは重量級だから全日本の決勝まで行く役目があったけど、彼の役目じゃない。でも憧れの全日本選手権で勝つという柔道家としての役目を、純粋にやってたからね。立派だよ」と絶賛する。
決勝は激闘となり、最後は小川が足車で一本勝ち。「柔道の技術の問題じゃない。性格と心の問題。それで彼は『(試合の途中で)心が折れてしまった』って話だけど、そこから彼はまた飛躍的に強くなったし、オレも学ぶものがあった」と、平成の三四郎にも後の暴走王にも、分岐点になったとみている。
次は「悔しいけど負け越したから」と、アトランタ&シドニー五輪重量級金メダルのダビド・ドイエ氏(57=フランス)を指名。小川氏はバルセロナ五輪準決勝では勝利したが、96年アトランタ五輪の準決勝で敗れ金メダルの夢を絶たれた。対戦成績は1勝2敗と負け越しており「クレバーで、戦い方がうまい柔道家だった。強さもあり、うまさもある」と、舌を巻く。
柔道人気の高いフランスでドイエ氏は国民的英雄となり、引退後は政界に進出した。小川氏は「柔道王国の中に、本当のチャンピオンが生まれたのがドイエだったのかな」と話す。一方で現在は違う思いもある。「でも今はリネールがダントツだと思うよ。もしリネールが10年先に現れたら、オレだってわかんねえよ。若い時に戦ってみたかった柔道家だよ」とズバリ。日本ではパリ五輪混合団体戦での〝疑惑のルーレット〟の印象が強烈だが、五輪で5個の金メダルを獲得しているテディ・リネール(36=フランス)が〝最強〟との見解だった。
3人目は「斉藤(仁)先生もいるけど、人間的には…」と、シドニー五輪100キロ超級銀メダルの篠原信一氏(53)。95年全日本選手権決勝で対戦し小川が一本勝ちしたが「その前に判定負けしたけど、オレの中では『えっ?』っていう判定だった。当時はアンチ小川みたいなふうに流れていて。新しいやつに(日本代表を)という話だったけど、ぎゃふんと言わせて逆転勝ちした」と、〝暴走王〟に口調を変えて胸を張る。
「自分の中では(重量級を)引っ張ってきたというのがあったから。辞めたくても『次、いねえじゃん』って。2番目探し始めても、しょうもないやつに負けたりとかあって。彼がやっと出てきて安心したよ。精神的にも強いやつだなと戦いを通してわかっていた。だからオレはポンとプロに行けたんだよね」と、篠原氏の台頭があったからこそ、プロレスに転向できたという。
篠原氏はその後、全日本の監督を務めたが、小川氏は「なりたくない。(アントニオ)猪木さんに導かれたから。猪木さんとは飛行機もビジネスクラスでうれしかった。(当時の柔道では)メダリストでもエコノミーだったからね」と、ミラノ・コルティナ冬季五輪でも話題になった航空便の席問題にも言及していた。















