【昭和~平成スター列伝】日本プロレスの祖・力道山は昨年に生誕100周年を迎えた。1963年12月15日、暴漢に刺された傷が原因で亡くなったが39年間、嵐のような人生を駆け抜けた。今年で62回目の命日を迎えるが、死の11日前には宿敵だった“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーと最後のインターナショナル王座防衛戦を行っている。
同年5月24日東京体育館で行われた両雄の初対決、WWA世界ヘビー級王座戦(王者デストロイヤー)は、足4の字固めをかけ合ったまま壮絶なレフェリーストップとなり、日本テレビ系列で生中継された試合は、平均視聴率64・0%(ビデオ・リサーチ調べ)を叩き出した。現在でも、歴代高視聴率番組の4位にランクインしており、長い間語り草となっている伝説的な名勝負だった。
12月にはその魔王が再来日して力道山のインター王座に連続挑戦。63年12月2日東京体育館ではリングアウトで力道山が防衛。2日後の4日には大阪でリマッチが行われた。結果的にはこれが力道山最後のインター王座戦となった。
「がっちりと絡み合った王者力道山と“覆面の魔王”ザ・デストロイヤーの足――恐怖の足4の字地獄の中でレフェリー沖のカウントが響き渡った。『ナイン、テン、ツエンティー…ドロー』。21分52秒の悪夢のような戦闘で、力道山19回目の防衛が成った。狂気のような野望で力道山の王座に挑んだ魔王は快調。機を見て攻め込み、危うしと見れば逃げる。このスピードを織り交ぜた攻撃に力道山は手を焼いた。宝刀空手チョップでチャンスをつかんだかに見えたが、一瞬のスキを突かれ、またもや足4の字地獄にはまった。根性の死闘というほかはない。延々8分――力道山は頑張り通してついにリング下に落ちた。死の4の字固めは決まったままだ。ここでレフェリー沖がカウントを開始。結局両者はカウントアウトで引き分け。力道山はタイトル防衛に成功した。それにしても足4の字固めの強烈さはすさまじく、8分間の猛攻に耐えたが自力では立てず、魔王も3人に抱えられて引き揚げた。両者の宿命的な対決はまだまだ続きそうだ」(抜粋)
辛うじて連続防衛に成功した力道山だが、ギリギリの勝負であり、両雄が再び戦うことはなかった。力道山は最終戦終了後の8日に赤坂のクラブで暴漢に刺され、15日には帰らぬ人となった。
「巨星墜つ」の悲報は日本中を震かんさせた。20日には東京・池上本門寺で葬儀が行われ、政財界、芸能界、スポーツ界から多くの著名人が弔問に訪れた。参列者は本門寺でも当時過去最高の1万人以上。警官隊も130人が配置され、まさに「国葬級」の規模だった。力道山は本門寺に眠り、墓の銅像には今でも多くのファンやレスラーが訪れ、プロレスの「聖地」となっている。 (敬称略)













