自民党に復党した鈴木宗男氏が6月30日、都内千代田区のホテルで「叱咤激励する会」を開き、参院選(3日公示、20日投開票)比例代表に臨む決意を語った。
「激動の政治家人生を振り返り、『不条理な社会をなくすのが政治家の務め。その仕事をやらせてほしい。天国と地獄を見て、国家権力、国策捜査と戦ってきた。何があってもひきません。正直者がバカを見ない社会にするのが、真の民主主義。昭和、平成、令和と生き抜いた政治家の選挙をしていく。最後の最後の戦い。悔いのない戦いをして、鈴木宗男の集大成にしたい』と意気込んだ」(6月30日東スポWEB)
筆者もこの会合であいさつをした。その際、鈴木氏が自民党を離党したときのあるエピソードを語った。
2002年3月15日午後のことだった。当時吹き荒れていた鈴木宗男バッシングの嵐に巻き込まれた筆者は、閑職である外交史料館に異動になり、実質的に何の仕事もない状況に置かれていた。
突然、筆者の携帯電話が鳴った。液晶盤には野中広務先生(衆議院議員、当時)と表示されていた。
「佐藤さん、鈴木が自民党を離党した。会見を見たか」
――見ていません。
「あなたも悔しいと思うが、これでいいんだ」
――といいますと?
「除名になると復党が難しい。鈴木はおかしなことはしていない。国のために一生懸命仕事をしていただけだ」
――それは私もよく解っています。北方領土絡みの疑惑は、事実無根です。
「しかし、おかしな風が吹いている。いまここで自分から離党すれば、いずれ自民党が鈴木に復党してくれと頼んでくる。私も鈴木には今後も自民党で活躍して欲しいと思っている。鈴木を復党させるために全力を尽くす。こういうことになって、外務省で鈴木に世話になった役人が次々と裏返っていく。鈴木も淋しい思いをしていると思う。あなただけはずっと鈴木のそばにいてくれ。ロシアのことできちんと鈴木を支えてくれ」
――もちろんです。
あれから23年以上が経った。この23年間はいったい何だったのかときつねにつままれたような思いだ。












