ケネディ暗殺機密文書が18日に全て公開された。新たに公開されたのは約8万ページに上る膨大なもので、新たに公開された文書のうち実際に新しいものがどれだけあるのか不確かだ。初期の分析では、文書の多くがすり切れていたり、スキャンが不十分だったりして判読が困難なこと、また、ケネディ暗殺事件との関連性がほとんどないと思われる文書もあることが指摘されている。そんな中、文書の一部にCIA関与説が記されていたという。
米紙ニューヨーク・ポストは19日、ノンフィクション「事件解決:リー・ハーヴェイ・オズワルドとJFK暗殺」(1993年)の著者ジェラルド・ポズナー氏にインタビューを行った。同氏はすでに「約2万2000ページ」に目を通したという。
ポズナー氏は「衝撃的な証拠はまだ見ていません。まだ本当のニュースは見ていませんが、だからといって何かが存在しないというわけではありません。調べていく中で私が抱く最大の疑問は、『なぜこれらが長年機密扱いされていたのか?』ということです。まったくばかげています」と語った。
ケネディ大統領暗殺事件は1963年11月22日に起きた。ある文書では、CIA内の「小さな派閥」が関与しているという説が検討されていた。
1967年6月の文書には、ケネディ暗殺の翌日、元米陸軍情報部員のゲイリー・アンダーヒル氏が「非常に動揺した」状態でワシントンDCから逃亡し、暗殺の背後には「CIA内の小さな派閥」がいると友人に主張した様子が詳しく記されている。
文書には「暗殺の翌日、ゲイリー・アンダーヒルは急いでワシントンをたった。夜遅く、彼はニュージャージーの友人宅に現れた。彼は非常に動揺していた。CIA内の小さな派閥が暗殺の責任を負っていると彼は打ち明け、自分の命が危ないと恐れ、おそらく国を離れなければならないだろうと考えた。それから6か月もたたないうちに、アンダーヒルはワシントンのアパートで射殺されているのが発見された。検死官は自殺と判定した」と書かれている。
ハーバード大学卒で元米陸軍大尉、第二次世界大戦中にジャーナリスト、諜報員として働いたアンダーヒル氏は、「国防総省の幹部の多くとファーストネームで呼び合う仲」で、「多くのCIA高官と親密な関係」にあったと言われている。
そして、当時の左翼雑誌「ランパーツ」の文章から「アンダーヒルが訪ねた友人らによると、彼は酔っていなかったが、ひどく動揺していたという。彼らは、アンダーヒルがケネディ暗殺を、銃や麻薬、その他の禁制品の密輸で儲かる詐欺を働いていたCIAの一味のせいにしたと言っている」と引用している。
そして、この文書では、ケネディ氏がCIAの一味の活動の「匂い」を嗅ぎつけ、「内部告発」する前に殺害されたため、CIAの一味が彼を殺害した可能性を指摘している。
この文書は、ニューオーリンズの地方検事ジム・ギャリソンによる1967年の捜査に対する批判を受けて作成されたもので、あくまで仮説の一つとして検討されたものだという。












