【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(33)】これまでいろいろな方々の実名を出して感謝の思いを記してきましたが、この人の名を忘れたらバチが当たってしまいます。

 兵庫県立社高から立命館大、日本生命を経て2002年ドラフト8巡目で近鉄バファローズに入団。球団合併後はオリックスバファローズで右の外野手として活躍した下山真二さんがその人物です。

 僕としては同じ右の外野手ということもあり、本当にいろいろなことを教わりました。僕の担当スカウトでもあった佐竹学さんと同様にたくさん学ばせていただきました。シモさんはなんて言うんでしょうね。元気やし明るいし、分かりやすく一番かわいがってくれた人じゃないですかね。

 18年だったかな。僕は33試合に出場して84打数20安打、打率2割3分8厘という数字で一、二軍を行ったり来たりしていました。これは首脳陣が評価することなので、自分としてはどうもできないのは分かっているんですが…。納得できない、何で俺が二軍に落ちるんだと思ってしまう場面もあって、我慢できずに監督に直談判しようとしてしまう自分もいました。

 今思えば、監督にとっては僕自身が使いにくい選手だったのかもしれません。代打で出場して安打を記録したとしても、その後には守備固めを送らないといけない選手になってしまってましたから。

 その時、僕と入れ替わって昇格してくる予定だったのは、深刻なスランプに悩んでいた助っ人でした。「何でなんですか!」。そうして僕が声を荒らげた瞬間、シモさんに首根っこをつかまれてロッカーの奥に連れていかれたんです。

「何でなん。何で俺なん」

 僕はもう、下山さんにブン殴られるんだろうなと思って覚悟していました。

 すると、シモさんは「すまん。我慢してくれ。ホンマごめんな。俺に力がなさすぎるから。下(二軍)でもう一回、元気出してやってきてくれ。絶対に腐るな」と言って号泣です。

 下山さんは現役時代、27歳という年齢でプロ入りしてきたオールドルーキーです。さらに入団した近鉄は2年で消滅。オリックスの一員となりましたが、近鉄時代のように本当の意味での生え抜きというわけではなく、起用方針などでは苦労されたことも多かったことと思います。そういう意味で僕の気持ちをくんでくれていたんだと思います。

 下山さんは、そんな中でもいつも元気なムードメーカーをやり通した人です。だから、シモさんにかわいがってもらった僕も、そのキャラクターを引き継がなきゃいけません。全力疾走、全力でのカバーリング、大きい声を出すということを怠らないよう、誰に何を言われようが絶対に続けました。

 今でも下山さんが視界に入ると「ハイハイ」って走ってくっつきに行ってしまうでしょうね。

 現在はオリックスでスカウトとして活躍されていて、将来を担う若手の発掘に尽力されています。時代が移り変わるにつれて、指導者と選手の関係性というものも変わっていくのかもしれません。それでも、あの熱いシモさんの選手への接し方は時代を超えて心に届くものがあると信じています。