10日に急逝したフリーのプロレスラー・吉江豊さん(享年50)の通夜が14日に前橋市内で行われ、多くのプロレス関係者が出席した。
全日本プロレス10日の高崎大会出場後に体調が急変し、高崎市内の病院へ救急搬送されたが、そのまま帰らぬ人になった吉江さん。新日本プロレス、無我ワールド・プロレスリングなどで活躍した故人に別れを告げるため約200人が会場を訪れた。2006年の無我ワールド立ち上げから吉江さんと縁が深いドラディションの藤波辰爾は「つらいね。吉江の場合は無我とか一緒にやってきたから…。個人の人柄なのかファンにも愛されたし、頑張ってくれた。今はゆっくり休んでくださいというだけです」と先に天国に旅立った弟子に言葉を送った。
また、吉江さんの最後の試合となったタッグ戦でレフェリーを務めた和田京平レフェリーは「こうなった時に『(最後が)俺でよかったな、吉江』っていうふうに伝えたいな…」と目を細める。当日の様子を「普通通りだった。普通通り終わって『疲れた』って。そしたらその後『吉江選手が大変だ』って。俺が見に行ったらもう(心肺)蘇生をしていたからね。あっさりだったなあって…」と振り返る。それでも「でも、なきがらを見た時にそのまんまだったもんね。ニコっとしていた。それを見て、スーッと気持ちよく終わったのかなって思います。(最後が)リングの上じゃなくて控室っていうのも彼らしいよ。気を使っているよ」と話した。また、吉江さんの容体が急変した際に側にいた諏訪魔は「今日、お顔を見たら、控室の元気な時のままだったので…。今は楽になったのかなと思いますね。安らかな顔をしていたので。感謝しています」とした。
また、新日本プロレス時代から親交の深い西村修は「遺体を見たらどうかなるかと思って来たけど、見てもまだ実感がないです。新日本時代の巡業中はグチャグチャに飲み歩いて食べまくって、毎日二日酔い三日酔いでも元気に試合をして回りましたから」と無念さをにじませる。そして「このまま本人死んじゃっても(記憶の中で)ずっと生き続けるのかなって」と天を仰いだ。また新日本で後輩だったKENSOは「若いころに(吉江さんが)寮長だったので。すごく良くしてもらった。怒ることはないし、住みやすい環境を作ってもらった。甘えさせてもらいました。優しい先輩でした」とつぶやくように話していた。












