【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(3)】2004年シーズンに向けて、年俸や環境など、圧倒的に条件の悪い市原(現千葉)入りを決めた最大の理由は、後に日本代表を率いることになるイビチャ・オシム監督の存在でした。
市原の練習に参加した際、ハードなメニューはもちろん、タッチ制限など、これまでにない指導に衝撃を受けたからです。両親と「2年でダメなら大学に進学する」という約束に至らないためにもサッカーに集中したかったし、プロとして成功するには、より厳しい環境に身を置いた方がいい。そのためにはオシム監督の下でなら「成長できる」と考えたからです。
入団当時、市原のセンターバックは日本代表DFの茶野(隆行)さん、(ジェリコ)ミリノビッチがいて、実質的には6番手くらい。それでもJリーグ開幕前に恒例のプレシーズンマッチ「ちばぎんカップ」で16人(当時)のベンチメンバーに選ばれたのはうれしかったですね。ただ、オシム監督から言葉をかけてもらった記憶はありません。指導やアドバイスも一切なかったですね。
オシム監督が何を求めているのか。練習で感じるしかありません。それでも04年7月24日のナビスコ杯1次リーグ浦和戦で先発を果たし、Jリーグで無双していた快速FWエメルソンとマッチアップ。とにかく無我夢中で90分間、集中することを心がけ、あまり仕事をさせませんでした。試合に負けたものの、先輩から「よくやった」と。少し自信が芽生えたのは覚えています。
その直後に臨んだ同29日の国際親善試合「銀河系軍団」と呼ばれていたスペイン1部レアル・マドリードとの試合も先発でした。(ブラジル代表FW)ロナウドや(フランス代表MFジネディーヌ)ジダンはベンチでしたが、試合では関係なくプレーに集中。(ポルトガル代表MFルイス)フィーゴと対峙しましたが、後に聞いた話では、このときのパフォーマンスがRマドリード関係者、日本の関係者にも高評価だったようです。
フィーゴのことをあまり知らず、試合に勝つことしか考えていなかったのが良かったのかもしれません。自分でも浦和戦に続き、少しプロとしてやっていけると手応えを感じました。ただ試合前に「とにかく(フィーゴに)付いていけ、トイレまでいけ」と言っていたオシム監督から、褒められることはありませんでした。













