【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(2)】日韓W杯で日本代表が16強入りした2002年夏、三重高校2年生になった僕は川崎と市原(現千葉)のトレーニングに参加する機会を得て「Jリーガーになれるかも」と少し意識し始めるようになりました。
迎えた高3の夏前に大学進学が内定するとともに複数のJクラブから興味を持ってもらっていた中で、千葉と柏から正式なオファーが届きます。僕の家は父が大学職員で母は中学校の教師、妹も後に小学校の教員になるように教育一家。当然、高校卒業後は大学に進学するものと思っていたようです。家族からは浮き沈みの激しいプロの世界に飛び込むことをかなり心配されていました。
僕は小学生時代から決して「エリート」ではありません。三重県選抜に選ばれたといっても僕よりうまい選手はたくさんいましたし、中学選抜、高校選抜、国体メンバー、そしてU―18日本代表に選ばれるようになっても同じでした。ただ「成長したい」と取り組んできた中、目の前に大好きなサッカーでプロになる道がある。自分の力を試したい。そのチャンスを捨てたくない。
そこで「2年やってダメなら大学に進むから、2年浪人したと思ってほしい」とプロ入りに難色を示す両親を説得。スカウトの方も同じような話をしてくれ、ようやく両親にプロ入りを認めてもらえました。少しホッとした一方、今度は正式オファーをもらった市原と柏のどちらのクラブに入団するのか。その決断をしなければなりません。
当時、柏の指揮官はブラジル人のマルコ・アウレリオ監督(※03年シーズンで退任)で、市原は後に日本代表を率いる東欧出身のイビチャ・オシム監督が務めていました。年俸の面は、柏は市原の倍額提示で、その他の選手寮などの施設面も大きな差があって条件面だけ見れば、明らかに柏が上回っていました。
当時の状況ならば誰でも柏に入るでしょう。でも、これまで常に自分よりもうまい選手がいた環境だったからこそ、努力を惜しまず、成長できたと思うんです。「Jリーガーになれた」と慢心することなく、これまで以上にサッカーと向き合わなければならないと考えました。そのことを考えると、練習に何度も参加し、その厳しさを体感した市原に入った方が成長できると考え、入団を決意します。












