実業家で麻布グループ会長の渡辺喜太郎氏(88)がこのほどインタビューに応じた。世界有数の大富豪に成り上がるもバブル崩壊ですべてを喪失。そこから再び盛り返すという半生は波瀾万丈の一語だ。先月20日に回顧録「我が人生の記」(青志社)を刊行した同氏は「あの人が総理大臣だったら、バブルは崩壊しなかった」と告白した。
同書では、戦災孤児の丁稚奉公を経て、中古車や高級外車販売、不動産で成功。ゴルフ場の「喜連川カントリークラブ」を所有し、世界6位の富豪に上り詰めたことや、バブル崩壊で資産を失うも、20年をかけて会社の整理を完了させたことなど波瀾万丈の半生がつづられている。
政財界やスポーツ界、芸能界との人脈も華やかだ。安倍晋太郎さん、山口敏夫さん、森喜朗氏、国際興業の小佐野賢治さん、野村克也さん、森繁久彌さん、北島三郎と枚挙にいとまがない。
「田中角栄さん、安倍晋三さん、竹下登さんたちとも会って話したり、お世話になったことがある。他方では、いわゆる黒幕やフィクサーの方々とも行き来して、裏社会の方々とも接点を持ったことがある」という経験から、1990年代初頭のバブル崩壊からの20年プラスその後の10年のいわゆる“失われた30年”に対して、忸怩たる思いがあるという。
渡辺氏は「渡辺美智雄総理が誕生していたら、日本の失われた30年はなかっただろう。1991年の宮沢喜一内閣の副総理兼外務大臣だった時、中国から帰国したミッチーと温泉でじっくり話した。『羽田空港上空から見ると、羽田周辺の中小の町工場が集まっているあたりが(倒産して)真っ暗なんだよ。だからすぐ首相官邸に行って、宮沢総理に“早く何とかしないと大変なことになる”って言ったんだけど、総理は結局、何もやらないんだよな』と残念がっていた」と明かす。
美智雄さんが持っていた対策は「金利を下げるべし、公的資金による株の買い上げを行うべし」というもの。そもそも、90年の「総量規制」には憤りまで持っていたという。総量規制とは、大蔵省から金融機関に対して行われた行政指導のことで、不動産向け融資の伸び率を、貸し出し全体の伸び率を下回るように求めたものだ。ところがこれによって日本の地価が暴落し、バブル崩壊に向かった。
美智雄さんは「世の中は機織りの機械と同じで、『座』という歯車が回ることで動いている。『座』で人間社会が全部つながっている。だから、不動産という『座』だけ外して強引に土地の値段を下げたら、ほかの『座』も回らなくなって、大変なことになっちゃう。元に戻るのに30年か40年かかるよ」と渡辺氏に告げていた。まさにそうなった。
渡辺氏は「ミッチーの副総理の副が取れ、渡辺美智雄総理が誕生していたら、“失われた30年”は“失われた数年”くらいで収まったのではないか。そう信じて疑わない」と話している。














