クロアチアやスペインなど世界7か国でプレーした〝流浪のフットボーラー〟MF田島翔(39=江の島FC)が苦難のキャリアを振り返った。7月にプロ雀士の試験に合格しサッカーとの異色〝二刀流〟で再スタートした田島は、2016年から米国で活動を開始するもドナルド・トランプ大統領のせいで、まさかの留置場入り。さらに韓国では反日騒動に巻き込まれた。(連載全5回)
【サッカーと雀士の二刀流・田島翔が激動の半生を振り返る(4)】
――2016年から米国のマイアミで1年間プレーした後、17年に米国独立リーグUPSL(実質4部)のラスベガス・シティーに移籍した
田島 16年に創設されたばかりのクラブでしたが、エンターテインメントの街でプレーしたかったので。クラブの施設も立派でした。チームメート3人にプール付きの一軒家が与えられて環境は最高でした。デビュー戦となった4月1日の開幕戦でゴールを決めたのはうれしかったです。
――順調なスタートだ。苦労はなかったか
田島 いろいろありましたね。特に日本と行き来している中、ラスベガス・シティー所属ということから「お前のビザに問題がある」と難癖を付けられて空港で拘束されて留置場に入れられたんです。実はクラブのオーナーがメキシコ人だったので…。当時の米国は(ドナルド)トランプ大統領。メキシコを敵視してので。その影響で嫌がらせだったようです。
――それで退団を決意したのか
田島 留置場にいる時に「もうこの国ではプレーできない」と思ったんです。それで携帯電話は所持できたので、留置場から韓国のチームに「テストを受けたい」って電話しました。もともと韓国にも興味を持っていたのでいい機会でした。トランプ氏のせい? 完全にそうですね。それでアポイントを取り、韓国でテストを受けることを決めて、ラスベガスはそのまま退団しました。
――18年7月に加入したのが韓国3部のソウル・ユナイテッドだ
田島 テストを受けて契約はしてくれたのですが、ここでは給料をもらえなかったんです。そこで日本人学校の子供たちを相手にサッカー教室を開き、収入を得ていました。でも、ちょうど日韓関係が冷え切っていて。クラブからも「危ないから外出するな」って言われることが多くなり、指導していた子供たちも危険ということで続々と日本に戻ることに…。
――日韓関係の悪化で収入減を失ったので日本に戻ることになった
田島 そういうことですね。それで(20年に)地元の函館ナチャーロというクラブに入りました。ここで現役生活を終えるつもりでいたのですが、今度は新型コロナウイルス禍になり、練習する施設が使用できず、リーグ戦も延期。「このままじゃ辞められない」と思っている時に、日本ほどコロナが流行っていない海外でプレーしようと…。
☆たじま・しょう 1983年4月7日生まれ。北海道北斗市出身。北海道函館工を卒業後の2002年にシンガポールへサッカー留学。04年にFC琉球入り。07年シーズン後に退団し、クロアチアやスペインでプレーし、12年にJ2熊本に入団した。その後、ニュージーランドや米国、韓国、サンマリノでプレーし、22年に江の島FCに加入。同年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格した。168センチ 62キロ。












