【山本美憂もう一息!(11)】1998年、3年ぶりに競技に復帰し、弟のノリ(徳郁さん)、妹の聖子とともにレスリングで世界の頂点を目指そうとするなか、母(憲子さん)の病気が発覚しました。

 最初は、鼻に何かできた、という程度だったんです。できものがポツポツと。すぐなくなると思っても、何か月たってもなかなか治らない。「おかしいねえ」とは言っていましたが、どこかが痛むとかでもないので、皮膚の病だと軽く考えていたんです。でも病院に行って、検査をしたら膠原病だと診断されました。

「ええ!!」と驚き、さらに検査をすると「血液のがん」と言われる白血病であることがわかりました。それも悪性でした。

 家族で大きなショックを受けました。でも母は気丈でしたし、私たちを心配させないよう努めていました。世界選手権(ポーランド)代表に選ばれた私の合宿についてきてくれ、長男アーセンの面倒も見てくれました。しかも「ポーランドにも行く」と言うのです。

 開催都市のポズナニに行くためには、乗り換えが2回も必要でした。大変な旅程でしたが、母は弱音も吐かず来てくれました。妹の聖子も、アーセンも一緒に渡欧。家族での戦いとなりました。私にとっては3年ぶりの世界選手権。大会が終わり、帰国したら母はつらく厳しい治療が待っている。客席に座る母に私が戦う姿を見て元気になってほしい。そんな思いでマットに立ちました。そしてふと父(郁榮氏)が座っているはずのセコンドを見ると、なんと母がいるではありませんか。

「えええ!」。とても驚きました。後で聞くと、国際レスリング連盟(FILA、現世界レスリング連合)で女子部門を推進してきた福田富昭さん(現日本協会名誉会長)が父に「かあちゃんを座らせてあげて」と特別に許可を出してくれたというのです。母が白血病を患っていたことを知っていたのは家族と福田さんだけ。事情を知って母の励ましになれば、という配慮からでした。

 母の声に押されながら、私は初戦の2回戦をフォール勝ちで突破。3回戦もウクライナ選手を下し決勝に進みました。相手は、米国でホームステイをさせてもらっていたよき友人でライバルのパトリシア。決勝は父がセコンドを務めました。互いに手の内を知るとあって、大接戦となりましたが敗れ2位でした。

 とても悔しかった。でも母は「ここまで頑張ったことを知っている。全然悲しむことじゃないよ」と励ましてくれました。大会最終日の夜に開かれたバンケットで、父と母がいつもとは別人のようにはしゃいでダンスを踊る姿がありました。2人はある決意を固めていたのです。

 ☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。