2010年5月2日・中日クラウンズ最終日 石川遼の58を呼んだ!6番ホール運命の3打目

2020年05月12日 11時00分

ギネス認定証を手にガッツポーズの石川

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(3)】「58」。2010年5月2日、ゴルフ国内男子ツアー「中日クラウンズ」最終日(名古屋GC和合C=パー70)、当時18歳の石川遼(CASIO)が当時の世界最少スコアをマークした。試合も首位に6打差の18位からの大逆転で、大会史上最年少優勝。07年に高校1年生でアマチュアV、08年にプロとして初Vを飾ると、09年には最年少賞金王――。創刊60周年を迎えた本紙の新企画「フラッシュバック」では、まさに“遼くんフィーバー”の真っただ中で達成された快挙をピックアップ。大記録の舞台裏と本紙担当記者のドタバタ劇に迫った。

 経験が必要、ベテランが有利。和合で行われる「中日クラウンズ」は国内ツアーの中でもそう言われる大会のひとつだ。ティーショットは飛距離よりも方向性重視。攻撃的な攻めのゴルフよりも、ミスが少ない安定したプレーが求められる。若者らしく1Wで豪快に攻める石川にとっては相性の悪いコース、苦手の大会のはずだった。

 実際、初出場の08年は予選落ち、09年は初日4位と好発進しながらも29位に終わっている。この年も3日目を終えて、通算1アンダーの18位。最終日は首位と6打差からのスタートで、優勝争いに加わるとは誰も考えてはいなかった。

 そんななか、1、2番で連続バーディー発進。1番は距離の短いパー4、2番は2オンも可能なパー5と、その後に迎える難所を前に、出だしは貯金を作っておきたいホールが続く。好スタートには違いないが大記録を予感させるほどのものではなかった。

 石川自身が「ターニングポイント」としたのはさらに2つバーディーを重ねて迎えた6番パー4だ。右ラフからの2打目はグリーンをオーバーし、3打目はラフから15ヤードのアプローチが残った。この日最大のピンチだったが、これを放り込みバーディーとする。

 石川と同様、コーチとしてプレーを見守った父・勝美さんもラウンド後は「1打目も、2打目もミスショットで普通ならボギーになるところ。あのチップインで2打違った」と振り返った。スタートから6ホールで5つ目のバーディーで徐々にコースが騒がしくなった。

 各所で左右にOBが迫るなど、戦略性が求められる和合では刻むホールが多くなるが、石川は他のコースでプレーする時と変わらず、1Wで果敢に攻めた。6545ヤードのパー70と距離はない。ティーショットで距離を稼ぎ、ウエッジでチャンスを作る作戦が、この日は完璧にはまった。

 374ヤードの9番パー4でも300ヤード超えのビッグドライブで残りは50ヤード弱。SWで1メートルのチャンスにつけると、これを沈めて7つ目のバーディーを奪い、前半をハーフのツアータイ記録となる「28」で折り返した。

 10、11番も1W↓SWで攻めて、8番から4連続バーディー。猛攻はまだ終わらない。14番で手前のカラーから10メートルをパターで沈めると、ここから3連続バーディーでさらにスコアを伸ばした。

 残る2ホールはパーとし、驚異のラウンドを終えた石川だったが、優勝会見では最終18番、5メートルのバーディーパットをショートさせた場面を振り返り「一番悔しいですね」。大記録や優勝の喜び以上に悔しさを強調したのが印象的だった。

【記者の目】この大会を取材した記者として、すべてを見てきたかのように振り返ったが、実際にはほとんど生では見ていない。石川が当時の最注目選手であるのは間違いなかったが、この日ばかりは単独首位でスタートの丸山茂樹(40=当時)が主役と判断していたからだ。

 当時はまだスマホがはやり始めたころ。序盤は2つ折りのケータイを開いては、次々にバーディーを示す「○」が入っていく石川のスコア速報を見て「間違いじゃないの?」と周囲と顔を見合わせていた。

 しばらくして状況は理解したものの、結局、1時間以上前を行く、石川組のハーフターンにも追いつけず、後半はほぼクラブハウスに設置されたモニターでの観戦。前半のハイライトも、そこで確認した。ゴルフは各所で同時にプレーが進行するため、想定外のことが起こると、現場にいてもこんなことが起こり得る。

 前年6月、石川がシーズン初優勝を飾った「ミズノオープンよみうりクラシック」もそうだった。最終日の前半で石川が5打のリードを奪ったため、一旦、先にホールアウトしてくる“敗者”の取材に切り替えた。

 すると、石川は12番でOB2連発。このホールを「+5」とし、リードを一気に吐き出した。16番パー5で起死回生のチップインイーグルを奪い、最後には勝利を手繰り寄せたが、ハイライトとなったいずれの場面にも居合わせることができなかった。

 練習ラウンドを含めると、1週間で70ホール以上のプレーを見てきたのに…。比べるまでもないが、“持ってる男”を取材する記者は全くと言っていいほど持っていなかった。

 石川の「58」のニュースは世界を駆け巡った。半日後、米ツアーで「62」を叩き出し、逆転Vを飾ったローリー・マキロイ(英国)は「スタート前にリョウが『58』を出したと聞いて刺激になった」とコメント。マキロイは前年の「中日クラウンズ」に出場しており「グリーンが小さくて難しかった」とコースの印象も口にした。コースがやさしかったんだろう――。日本ツアーをよく知らない世界のゴルフファンのなかにはそんな反応もあっただろうが、後の世界ナンバーワンがあっさりこれを否定した。

 石川がこれ以上ない攻撃的なスタイルで攻略した和合だが、令和のツアー初戦として行われた昨年の60回大会は宮本勝昌(47=ハートンホテル)、一昨年はY・E・ヤン(48=韓国)が制するなど、再び経験豊富なベテランが優勢。石川自身も昨年の棄権を含めて、その後の10年で5度出場したが、14年の5位が最高と優勝争いには絡めていない。

 コロナ禍により、今年は中止となったが、仕切り直しとなる来年の61回大会では再び、石川が、あるいは新たな若手がゴルフ史に残る奇跡やドラマを見せてくれるのか? できれば現場に居合わせたいものだ。(田中宏治)

 石川の世界最少スコア「58」は2年後に大幅に更新された。12年5月21日、米国の下部ツアーで当時26歳のライアン・ギブソン(オーストラリア)が「55」をマーク。パー71のコースで2イーグル、12バーディーという内容だった。

 新たな記録保持者となったギブソンは13、14年の「中日クラウンズ」に招待選手として出場。14年は石川と同じ組でプレーするなど、話題になったが結果は2年連続の予選落ちだった。

 米ツアーでは16年8月の「トラベラーズ選手権」でジム・フューリク(49=米国)が「58」(パー70)をマークしている。