【クレー射撃】中山由起枝 愛娘と歩んだ5度目五輪への道

2020年09月03日 14時00分

オンライン取材で中山は自粛期間中のトレーニングメニューを披露

【どうなる東京五輪パラリンピック(100)】アスリートには「使命」がある――。1年延期となった東京五輪は新型コロナウイルス禍が終息せず、来夏の開催も見通せない状況が続く。しかし競技関係者は下を向いているわけではない。クレー射撃女子トラップで東京五輪代表の中山由起枝(41=日立建機)が本紙のオンライン取材に応じ、集大成と位置づける自国開催への心境を激白。射撃との出会い、愛娘と二人三脚の日々、セカンドキャリア…5度目の大舞台を前にママアスリートは何を思うのか?

 宙に浮いた感覚からようやく解放された。日本クレー射撃協会は6月、五輪代表が決まっている選手の権利を維持することを発表。これにより2000年シドニー、08年北京、12年ロンドン、16年リオに続く5度目の出場を目指していた中山は東京五輪の代表権を確実なものにした。

 中山 コロナの状況を見て(代表をどうするか決めるのが)ちょっと延びてしまったと思うんですけど、内定していただいたことにホッとしています。ただ、通常であれば(東京五輪は)7月に開幕して、私の試合は7月末から8月1日にかけて行われていた。そこまで逆算しながら、特に今年に入ってしっかりプログラムを組み立てていただけに、延期になったのは正直言ってこれからどうやってプログラムを立てていくべきか喪失感は強いものがありました。私自身、集大成として臨もうという決意が強かったので。

 そもそもクレー射撃とは無縁の環境で育った。埼玉栄高ソフトボール部では捕手として活躍し、その後もソフトボールを続ける選択肢を持ちながら、現所属の日立建機で新設するクレー射撃部からオファーが届くことになる。そこにはソフトボール元日本代表監督・宇津木妙子氏(67)の存在があった。

 中山 当時、宇津木さんは日立高崎ソフト部監督でした。そこで日立建機クレー射撃部立ち上げにあたって「誰かいい選手はいないか」となったときに、宇津木さんが「ソフトボール界でも欲しいけど、日立グループのためなら協力するしかない」ということで私を推してくれたそう。1月にある表彰式でお会いして、ゆっくりお話しする機会があったけど、23年前のことを鮮明に覚えていらっしゃって「私が一番の立役者なのよ」とおっしゃっていましたね(笑い)。

 1997年4月に入社すると、当初は04年アテネ五輪出場を目指していたが、とんとん拍子でシドニー五輪の代表権を獲得。大会後には結婚・出産のため一時競技から退いたものの、シングルマザーとしての新生活と同時に再び射台に立つことになった。中山にとって五輪を目指した日々は一人娘の芽生さん(18)と二人三脚で歩んだ記録でもある。

 中山 思えば北京、ロンドン、リオと子育てをしながら一緒に成長し続けてきましたね。五輪ではメダルを取ることが目標ですけど、そこに向かうまでの過程が何よりも親子でやってきた、私たちだけのストーリーという思いが強い。今回、5度目(東京五輪)の出場枠を獲得したときはちょうど娘が大学受験を控えている真っ最中でしたが、自分の中では子育ても含めて集大成、最後の五輪になると思います。
 女性として、母として、20年以上の競技生活で自身を取り巻く環境も変わりつつある。セカンドキャリアはこれまでの経験を何らかの形で還元するつもりだ。

 中山 女性が少ない競技ですよね。なので、女性コーチがいることで安心して競技に打ち込めることがあるかもしれないので、女子選手の発掘というか指導者になりたいと考えています。

 来夏に延期となった東京五輪は新型コロナ禍で開催が不透明な状況。今回を「最後の五輪」に位置づける選手はどのような心境なのか。

 中山 開催可否はさておき、私はそこに向かうプロセスを大切にしたいですね。インターハイや甲子園が中止になって高校生の涙をニュースなどで見てきましたけど、あの子たちだって涙を流しながらも受け入れているわけですから。私たちアスリートもそれ(中止)を受け入れる覚悟はしっかり持っておかないと。開催されれば、みんなが共感できるものを展開したり、自分が決めたことはブレずにやれるだけのことをやる。アスリートの使命を持つべきですよね。24年パリ五輪? まったく…(笑い)。子育てがないのに、五輪を目指す理由が見当たりませんよ。

 ママアスリートはあと1年を切った“標的”に銃口を構えている。

 ☆なかやま・ゆきえ 1979年3月7日生まれ。栃木・小山市出身。中・高校時代はソフトボール部に所属。埼玉栄高卒業後、97年4月に日立建機に入社してクレー射撃選手に転身。競技歴1年11か月で2000年シドニー五輪の女子ダブルトラップ出場権を獲得した。08年北京五輪では女子トラップで4位入賞。12年ロンドン五輪、16年リオ五輪は予選敗退だったが、昨年11月にアジア選手権で3位に入り、東京五輪の出場権を獲得した。19年3月に順天堂大学院スポーツ健康科学研究科の修士課程を修了。好きな歌手は安室奈美恵。