【今が旬〜このレーサーに乗れ〜】いま注目すべき選手を紹介する「今が“旬”」。今回は板倉敦史(39=東京)だ。過去に登場したなかでは、最も地味なタイプかも…。しかし、サラリーマンの世界同様、出世が早いタイプ、遅いタイプ、様々いるもの。まして勝負の世界だ、誰もが一気にスターダムを駆け上がれるわけではなく一歩一歩着実に…。

 デビューから8年6か月、5月の若松一般戦で38歳にして念願の初優出を果たした――。小中高とバスケットボールに熱中していた板倉青年に転機が訪れたのは29歳のことだった。専門学校を経て、国内自動車メーカーのディーラーで整備士をしていたが、ボートレースやオートレース好きの同僚から「受験資格が緩和される」と勧められると、実際に平和島で観戦し「こういう世界で生きていけたらいいな」と一念発起。2010年11月にデビューを果たした。

 ボートレーサーの世界は“登録番号至上主義”。年齢に関係なく、1期でも早くデビューした方が“先輩”だ。社会人経験のある板倉もしかり。下手をすれば10歳近く年下の先輩もいるが「そういう世界だと思って入ったので」とアッサリ。さらに「この仕事の魅力は、やっただけ成績や収入につながる。頑張った結果が見えることだと思います。やりがいがある」と言ってのける。

 これまでで、最も印象に残るレースは「あの桐生順平さんに競り勝てたこと」。16年7月児島一般戦最終日に2着したレースで「道中追い回されて。気配を感じたら、もういるんですよ。エンジンも出ていたんですけど、3周2Mで振り切れました」と笑うが、SGウイナーの格上との接戦を制したことは、レーサーとして大きな自信につながっているようだ。

 そんな板倉の師匠は先月引退した川名稔さん。「プライベートで釣りに行ったりはしますが、あまり仕事の話はしません」という関係。「本当に自由にさせてもらい、それが“自力でやらないと”という意識につながりました」。手取り足取りではなく、自主性を重んじて見守ってくれた師匠に感謝しきりだ。

 取材中は終始、穏やかな表情だったが、今後の目標について話を向けると「一番はA級に上がりたい」と一変、真剣なまなざしに。「もちろん優勝もしたい。今回優出できたということは、(優勝が)できないところにはいないと思う」とキッパリ。「エンジン出しもだし、Sが苦手。克服したい」とまだ課題は山積しているが、板倉の今後の活躍に期待したい。

☆いたくら・あつし=1980年6月21日生まれ。東京支部の107期生。2010年平和島でデビュー。11年8月とこなめ一般戦で初1着。19年5月若松一般戦でデビュー初優出4着。同期には石倉洋行、藤原菜希、近江翔吾らがいる。身長169センチ、血液型=O。