【特別連載「革命戦士最終章」最終回】26日の「POWER HALL 2019」(東京・後楽園ホール)でラストマッチに臨む長州力(67)の特別連載「革命戦士最終章」最終回は、元新日本プロレス専務取締役営業本部長で今年のWWE「ホール・オブ・フェイム」のレガシー部門で殿堂入りした新間寿氏(84)の登場だ。新日プロへの入団交渉に携わり、「プロレスラー長州力」を生み出した“過激な仕掛け人”が明かす革命戦士の原点とは――。

 1973年、新日プロ社長だったアントニオ猪木氏の命を受けて、専修大レスリング部の吉田光雄(後の長州)獲得に動いたのが新間氏だ。前年に中大の鶴田友美(後のジャンボ鶴田さん)獲得が失敗に終わり、ライバル団体の全日本プロレスに入団を許した直後だった。

 新間氏 ぱっと華やかなものはなかったけど、運動部だなと思った。猪木さんは「何でもかんでも取ってこい。自分の努力と新日本の指導力でもってスターにするという俺の気持ちが分かれば彼は努力するから」と言っていた。

 交渉の席で吉田からは「もし契約金があるなら、4年間お世話になったレスリング部に寄付してくれませんか」と提案があった。当時のマット界で契約金が発生するのは異例のことで、金額で300万円だったという。

 新間氏 今だと1000万円くらい(の価値)かな。(当時の出場給は)1試合1万円で、猪木さんレベルの選手は10とか15万円だった。猪木さんに契約金の話をしたら「それじゃかわいそうだ」と吉田個人にも少し渡したと後から聞いた。入団した時は、そういうさわやかな話なんです。

 リングネームを考えたのも猪木氏だ。新間氏も「ストロング吉田」「ナイト吉田」を提案したが、猪木氏は「山口県出身だから長州がいい。力持ちだし、力道山先生の『力』を取って長州力だ」と即決した。また、長州の転機になったのが82年10月8日の後楽園ホール大会での「かませ犬発言(※)」。リング上で藤波辰爾(当時は辰己)ともめる長州を止めに入った新間氏は腕を取った瞬間、体が宙を舞っていた。

 新間氏 長州と藤波の間では葛藤があったんだろうけど、俺の中では分からない。(後から名前を呼ばれる方が格上とされ)猪木さんは「猪木、坂口征二が組んでも俺が先に呼ばれていい。坂口が本当のメインイベンターだ」と言い、坂口は「メインイベンターは猪木さん。私が先に呼ばれて結構です」というやりとりがあった。ただ長州には自分に自信があったんだろうね。なんで(自分が先にコールされ)藤波の後塵を拝すのか、俺は対等だという意識がね。

 83年のクーデター騒動で新間氏が新日プロを退社し、UWFを旗揚げした翌年のこと。長州を帝国ホテルの一室に呼び出した。テーブルの上に1500万円の現金を置き「俺はお前をプロレス界に入れたのだから、今度は俺を助けてくれ」と移籍を要請した。だが長州の答えは「今は新日本を裏切れません」だった。

 新間氏 現金を見ても「長州不動なり」だった。でもうれしかったな。俺が選んで新日本に入れた人間だなって。これだけ長く活躍してくれ、感謝のひと言ですよ。夢を与えてくれて本当にありがとう。

 ※メキシコから凱旋帰国した長州は6人タッグ戦で猪木、藤波とトリオを結成。試合中に長州と藤波はお互いのタッチを拒否し殴り合いに発展した。長州は「俺はお前のかませ犬じゃない」と言ったとされる。