急逝・千葉真一さん 五輪出場の夢絶たれ…ハリウッド挑戦を後押しした「高倉健さん」

2021年08月20日 05時15分

パワフルだった千葉真一さん
パワフルだった千葉真一さん

 アクション俳優として国際的に活躍した千葉真一(ちば・しんいち、本名・前田禎穂=まえだ・さだほ)さんが19日午後5時26分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、千葉県木更津市の病院で死去した。82歳だった。映画「激突!殺人拳」や「仁義なき戦い 広島死闘篇」「柳生一族の陰謀」など多くのヒット作を生み出し、日本はもとより海外の映画人からもリスペクトされていた。知られざる半生、そして米アカデミー賞を本気で狙っていた秘話を公開――。

 関係者によると、千葉さんは7月末にコロナに感染。容体が悪化したことから今月8日に千葉市内の病院に入院したという。その後、肺炎が悪化し、酸素吸入を続けている状況だったが、回復には至らなかった。

「感染当初は元気だったため、自宅で療養していましたが、容体が悪化して入院。一度は持ち直しましたが、再び帰らぬ人となりました」(事情を知る関係者)

 1959年に「東映ニューフェイス」に合格。68年のドラマ「キイハンター」で国民的人気を得ると、次々にヒット作を生み出した。だが、そんな千葉さんが目指していたのは俳優ではなく、エリートサラリーマンだったことはあまり知られていない。しかも、五輪出場を目指していたというから驚きだ。

 生前、千葉さんは「戦前はお手伝いさんを2人も雇っていたのに、終戦を境に生活は激変。食うのにやっとの生活だった。漠然と『五輪に出場すれば、いい会社に就職できて、エリートサラリーマンになれるんじゃないか』と考えてたんだ」と明かしていた。

 何と言っても運動神経は抜群。中学2年生の時に体操部の主将となり、日体大器械体操部に進学した。ところが、練習中に腰椎椎間板を損傷。それが運命の転機だった。ある日、代々木駅に張ってあった「第6期東映ニューフェース募集!」のポスターが目に入り、応募したのだ。

「この1年前に『ミスタースポーツウエア・コンテスト』で準ミスターに選ばれ、賞金3万円を手に入れたことがあった。スポーツウエアで3万円なんだから、映画スターになればもっとすごいはずだと」(千葉さん)

 実際に合格し、デビューすると、視聴率20%のテレビドラマの主演を連発。映画でも「柳生一族の陰謀」がヒットするなど、千葉さんはスター街道を駆けのぼっていく。そんな80年代、尊敬する高倉健さんから常々「ハリウッド映画はすごいぞ。やっぱり一度は勝負しないとダメだ」と言われ、自身も意欲が高まっていく。だが、進出してみたところで、そう簡単にいくはずがない。悪戦苦闘が続く中、クエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」への出演がかなう。

「米進出直後から個人的な親交があったんだ。彼は東映映画のマニアで、オレをリスペクトしてくれていた。これでハリウッドのオレへの見方も大きく変わった」(同)

 千葉さんは90年代に米国で活躍後、2000年代に再び拠点を日本に移す。帰国後もハリウッドに再進出して映画を撮りたいという熱意を持ち続けていた。千葉さんの知人が明かす。

「ハリウッドできちんと日本や武士道を描いた映画を作りたいという情熱を持ち続けていました。再びチャンスが訪れた時のために、例えば外国人が侍になった話など、何本も脚本を書いていたとのことで、コロナ禍の前はそのあらすじを一晩中何時間もかけて話してくれたこともありました。千葉さんは演技しながら話してくれるので、その迫力に時間を忘れてしまうほどでした」

 千葉さんは自らが構想した脚本にはかなりの自信を持っていたという。

「『この映画ができたらアカデミー賞も狙えるんだけどなあ』と話していました。アメリカに長くいただけあってハリウッドの難しさもよく分かっていましたが、アカデミー賞を本気で狙っている様子でした」(同知人)

 年を重ねても体を鍛え上げ、体形をキープどころか年々パワーアップするなど準備は怠らなかったが、さすがの千葉さんもコロナには勝てなかったということか。

 だが、その情熱は子供たちに受け継がれている。今春には長男で俳優の新田真剣佑(24)が海外に進出。また、次男の眞栄田郷敦(21)、長女の真瀬樹里(46)も役者として活躍中だ。きっと父は天国から熱っぽく応援しているに違いない。

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