05年、阪神2年ぶりリーグVも…濃霧コールド負けから始まった日本シリーズ屈辱4連敗

2020年06月07日 11時00分

濃霧の中、肩を落としてベンチに引き揚げる阪神ナイン

【球界平成裏面史(43)、岡田阪神(4)】まさかの「村上ファンド問題」が発覚した平成17年(2005年)9月27日からわずか2日後、同29日に岡田阪神のリーグ優勝が甲子園で決まった。星野阪神が03年に18年ぶりの劇的Vを決めてから、わずか2年だった。こんなに短いスパンで阪神が優勝するなんて。多くの虎党もそう感じていたに違いない。そんな中、待望の日本シリーズで再びまさかの事態が起こった。

 球場に濃霧が立ち込め、ボールはおろか、数メートル先の選手までも見えない。05年の日本シリーズ第1戦は同シリーズ史上初の濃霧での7回コールドゲーム。同シリーズで自然現象のためにコールドゲームとなったのは1953年の巨人対南海戦以来、52年ぶりの珍事だった。取材で何試合も観戦していて、こんなこと初めてだとは思ったが、プロ野球史上初めてというなら当然。このモヤモヤの敗戦が象徴するように、阪神はロッテに4連敗を喫し、屈辱の敗退となった。

 シーズンでの戦いぶりは圧巻だった。「JFK」が快投を見せれば、打線も4番の金本が40本塁打、125打点。1番・赤星の60盗塁、119得点、5番・今岡の147打点など圧巻の数字が並んだ。

 こうなると85年以来の日本一に期待がかかる。優勝決定が早かった分、日本シリーズが待ち遠しかった。その間、パ・リーグではシ烈なプレーオフが行われていた。ロッテが2位から激戦を勝ち抜き、シーズン1位のソフトバンクを下し相手が決まった。だが、この待ち時間がアダになるとは夢にも思わなかった。

 阪神は日本シリーズが始まるまで、優勝決定から中22日。公式戦終了からは中16日が経過していた。フェニックス・リーグに主力組を派遣するなど調整は行ったとはいえ、実戦感覚の鈍りは想像以上だった。

 シリーズ直前に甲子園で行われたシート打撃では、野手陣の打球が前に飛ばなかった。当時、今岡に取材したところ「少し実戦勘が鈍ってるとは思いますけど、本番前には緊張感も出てくるし、戻ってきますよ」と話していたが…。実際はそうはならなかった。

 事実、千葉マリンで行われた第1戦では初回の一死一、二塁から金本が遊ゴロ併殺。シーズン中には、打てなくても一塁方向に引っ張って二死二、三塁にしてきたアニキが簡単にゲッツーを取られた。その裏にシリーズMVPになった今江の先制ソロが飛び出した。

 5回に一度は同点に追い付いたが、その裏にすぐ3点を勝ち越された。6回は李承〓のソロが出て先発・井川が降板。このころから外野の打球が記者席からは見えにくい状況だった。7回に入ると救援の橋本が里崎に3ラン、ベニーに2ランを浴び1―10。この時には打球がどこに飛んだかも見えない霧の濃さだった。

 中断が34分続き、審判団が本塁付近で協議。天気予報なども参考にし、コールドゲームが宣告された。当時の正田打撃コーチがこの数年後、振り返って話した言葉はこうだった。

「ゴルフで待たされた揚げ句、力んでやらかす時あるやろ。『待ちチョロ』言うんか。そのままスコアもボロボロよ(4戦合計4―33の大敗)。まさにそれやんか」

 はい、まさに、それでした…。

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