【今週の秘蔵フォト 新春特別編】いわゆる「お正月映画」の定番中の定番が「男はつらいよ」だ。故渥美清さんが演じた「フーテンの寅さん」こと車寅次郎は、映画界で戦後最大に愛された国民的キャラクターと言ってもいいだろう。日本人で「男はつらいよ」シリーズが嫌いな人はいないはずだ。今年も年末年始は各局で放送が予定されている。

渥美清と倍賞千恵子(1971年、東映大船撮影所)
渥美清と倍賞千恵子(1971年、東映大船撮影所)

 寅さんの妹・さくら役を実に全50作にわたって演じた倍賞千恵子も「男はつらいよ」で国民的女優となった。

 倍賞は1941年6月29日東京都出身。57年に松竹音楽舞踊学校に入学。60年に首席で卒業し、松竹歌劇団に入団。当時から逸材と注目を集め、61年に「斑女」で映画デビュー。女優、歌手として活躍を続け、69年に松竹「男はつらいよ」が爆発的ヒットを記録し、レギュラー出演に至った。

 77年7月15日付本紙では第19作「男はつらいよ 寅次郎と殿様」の公開を控えた倍賞のインタビューが掲載されている。さくら役も9年目。当時36歳だった。

「お天気のいい日曜日にはね、窓を思いっきり全開にしてステレオのボリュームをいっぱいに上げてクラシックを聴くんです。(性格は)泣き虫かもしれませんよ。この本(『男はつらいよ』の台本)を読んでいても泣き出しちゃうくらいですから。犬が死んだだけで泣くし、人が亡くなったと聞いただけで泣くし…」

 そんな倍賞は大の動物好きだったようだ。「犬とか猫とか小鳥とか子供のころから動物好きで、今も寅次郎という名前の犬を一匹飼ってるんですよ。ネズミでも飼っちゃうくらい」と笑う。幼少期には疎開先の茨城県でネズミの子を飼って母親に怒られたほどだったという。「あの頃、ピコという名前の赤犬を飼っていたんですけど、食糧難の時代でしょう。誰かに食べられちゃったんです。河原で頭だけ見つけたときはショックだったわあ」と壮絶な経験も明かした。

酒豪であることを明かした倍賞千恵子(1977年)
酒豪であることを明かした倍賞千恵子(1977年)


 犬の寅次郎には「世話を焼き過ぎて母親に叱られるんです。母親にとっては子供はいくつになっても子供なんですよね。こういう仕事をしていると子供っぽいと言われるくらい感受性が豊かじゃないといけないみたい」とさくらのような母性を感じさせる言葉を語った。

 妹は言わずと知れた大女優の倍賞美津子で、当時は2022年に亡くなった不世出の名レスラー“燃える闘魂”ことアントニオ猪木さん(享年79)の夫人だった(後に離婚)。自ら酒豪を公言する倍賞は家で飲むことが多く、猪木さんも顔を出すことも多かったという。

「お酒もよく飲みますよ。結構いけるクチで家で飲むことが多いわ。妹夫婦とか兄弟で集まってワイワイやるわけ。アントンさんもよく来ますよ。いくら飲んでも紳士的なんです」と語った。何とも豪華な顔触れの酒宴だったようだ。

 姉妹でも性格はかなり異なったようで「怖いスポーツもダメなの。プロレスを見てると、心臓がドキドキしてきて手がスーッと白くなっちゃうんです。もうダメね」と明かす。妹は正反対で子供のころから「そこだ、いいぞ、やっちゃえ!」のタイプだったという。おっとりした姉と、過激な妹。とても納得できるエピソードではある。

「同じ姉妹なのにね。しょうがないから私は野球の方です。室内ゲームをきっちり覚える忍耐力もないから、麻雀とか将棋とか碁なんてできないし、ゴルフを始める気もないし、オセロをちょこっとやって、テレビで野球を見るぐらいですね」。ちなみに子供のころから大の巨人党だったという。どこまでも物静かな性格が伝わってくる。

「旅も大好きなんですけどあまり出かけませんね。乗り物に酔っちゃうほうなので。行きたいなあと思いつつ、部屋の整理や模様替えをしたりぐらいなんですよ」とあくまで私生活も庶民的だったようだ。当時では異例の長いインタビューに誠実かつ穏やかに応じてくれた。

 結局、渥美さんが亡くなった1996年まで全50作でさくら役を演じ続け、その後も数々の映画で活躍を続けて不動の地位を築き上げた。今でも最前線で活躍を続けており「PLAN75」では2023年日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得した。

 誰もが愛した「さくら」はいつまでも健在であり、日本人の心のよりどころであり続ける。