【第19回 女々しくて、女々しくて、辛いよ~♪】

 普段の昭和と違い、今回はイレギュラー。平成テイストでお送りします。ゴールデンボンバーが登場した時は、昭和世代の私は「ビジュアル系エアバンド!?」と眉をひそめましたが、あっという間に大好きになりました。人の価値観なんて流動的なもの。また、「女々しい」「男らしくない」といった表現は、その正体を言い当てるのはなかなか難しいです。

「“らしさ”とは広い意味で、自分の生きようとする性の役割を表すものであり、“らしさ”を考えるまえに、まず私たちが生き物であることを理解する必要がある」

 こう説くのは、昨年5月、数え年の94歳で亡くなった男性医学の父&私の父である熊本悦明。バトンを引き継ぎ、私がまとめた本「新・アダムとイヴの科学」の一節です。

 この本は40年以上前に父が書いた「アダムとイヴの科学」をアップデートした内容で、「性」と「生」が複雑に交差する問題を考えています。

「私は近ごろ、次のように感じている。男は男らしく、女は女の標準近くにあらねばならないという、『みんなと同じでありたい、あるべきである』という意識は問題であるまいかと。人と同じであることで安心し、生き甲斐を感ずる日本的な感覚から離れて、それぞれ自らの条件に悩まずに、堂々と自信をもって生きることができないものであろうかと、考えずにはいられない。現代は、『男は、また女はかくあるべし』という観念が徐々にうすれつつある時代なのだ」

 元となった当時の本にこう書かれていて驚きました。

 胎児の時は誰もが女型。それがY染色体を持つ男児は自らの出来立てホヤホヤの睾丸から分泌されるテストステロンシャワーを浴びて、男に創りかえられていくのです。詳細は本を読んでいただきたいのですが、シャワーの浴び加減で、女から男への“創りかえられ度”は千差万別。100%完全に女にとどまることも、100%男に創りかえられるほうがまれなのです。

 性にはグラデーションがあると「LGBTQ」という言葉が存在しなかった時代から、父は臨床を通じて「みんな違って当たりまえ」と理解し、認めていたのです。やるじゃないかっ!